4K映像 桜の名所「吉野山の千本桜Ⅱ 日本三大桜 」cherry blossom japan 世界遺産 中千本・如意輪寺 日本の美しい四季 春 奈良県吉野町 4月上旬 絶景自然風景 8K撮影

2024/03/04 に公開
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撮影年月日2021.3.29 撮影機材CANON EOS-R5

如意輪寺(にょいりんじ)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある浄土宗の寺院です。山号は塔尾山(とうのおさん)。本尊は如意輪観音。本堂の背後には、吉野の地で崩御した後醍醐天皇の陵・塔尾陵(とうのおのみささぎ)、世泰親王墓があります。

歴史は、平安時代の延喜年間(901年 - 922年)に日蔵上人により開かれたと伝わります。南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に行宮を定めた際に勅願所とされましたが、天皇は還京叶わぬまま崩御して本堂の裏山に葬られました。以来寺運は衰えましたが、慶安3年(1650年)文誉鉄牛上人によって本堂が再興され、その際に真言宗から浄土宗に改宗しました。
松尾芭蕉はここに立ち寄った折、「御廟年を経てしのぶは何をしのぶ草」などの句を残しています。金峯山寺、吉水神社などがある吉野山からは谷ひとつ挟んで離れた山の中腹に位置します。


吉野山は、大峰連山北端約8kmにわたる尾根で桜の名所として有名です。谷や尾根を埋める桜は3万本ともいわれ、4月上旬から下旬が見頃です。麓から下千本、中千本、上千本、奥千本と順に開花し、山を染めていく様子は見事です。この桜は、役行者が金峯山寺を開くにあたり、桜の木に感得した蔵王権現を彫って本尊とし、御神木として保護され、相次ぐ寄進を受けたことを発端とする。桜の種類は約200種とされますが、多くがシロヤマザクラです。この地は宗教都市として修験者が集まり、また南北朝時代に南朝の都が置かれた場所でもあります。下の千本は吉野山でも最も古くから有名な桜の群落、その展望台は、昭憲皇太后のお野立所です。

吉野山(よしのやま)は奈良県の中央部・吉野郡吉野町にある吉野川(紀の川)南岸から大峰山脈へと南北に続く約8キロメートルに及ぶ尾根続きの山稜の総称、または金峯山寺を中心とした社寺が点在する地域の広域地名です。

古くから花の名所として知られており、その中でも特に桜は有名で、かつては豊臣秀吉が花見に来た事があります。現代でも桜が咲く季節になると花見の観光客で賑わいます。地域ごとに、下千本(しもせんぼん)、中千本(なかせんぼん)、上千本(かみせんぼん)、奥千本(おくせんぼん)と呼ばれています。

1924年(大正13年)12月には国の名勝・史跡に指定され、1936年(昭和11年)2月 には吉野熊野国立公園に指定されました。また2004年(平成16年)7月には吉野山・高野山から熊野にかけての霊場と参詣道が『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録されました。1990年(平成2年)には日本さくら名所100選に選定されました。

吉野山は平安時代頃から桜が植え続けられてきました。 特に桜が数多く集まる所があり、いずれも一目千本と呼ばれ山下の北から山上の南へと順に下千本・中千本・上千本・奥千本と呼ばれています。 植えられている桜の種類は、ほとんどが白山桜(シロヤマザクラ)であり、その数は約3万本にも及びます。 これらの桜は、4月初旬から末にかけて、山下の下千本から順に山上へと開花してゆきます。この時期の吉野山は花見客で大変、賑わいます。

下千本 - 近鉄吉野駅から山上へ上がる七曲坂周辺。
中千本 - 五郎兵衛茶屋から如意輪寺にかけての一帯。
上千本 - 火の見櫓から花矢倉にかけての坂周辺に。吉野水分神社も含むとする説と、吉野水分神社は奥千本とする説がある。

桜が多い理由
吉野山に桜が多いのは、桜が蔵王権現の神木であるとされたことによります。

修験道の開祖とされる役小角は、金峰山(現在の大峰山系)で修行を積み、その結果、金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)が出現して、これを感得し蔵王権現像を彫ったとされます。その時に用いられた木材が桜樹であった。以降、行者達は桜材を使い権現を彫刻し、これを祀る習わしとなりました。これより桜は神木となり、桜の枯れ木といえども薪にさえせず、一枝を折る者は指一本を切るといったような厳しい信仰が厳守されたといいます。そのため蔵王権現に祈願する際には、神木とされる桜の苗を寄進するのが最善の供養となる風習が起こり、平安時代の頃から多くの桜が植えられるようになりました。

また大海人皇子(のちの天武天皇)が、吉野の寒中で、庭の桜が満開の夢を見て、これが動機となって天下を定めたので、桜は霊木であり神木であるとされ、桜の愛護が始まったとも伝えられます。