昭和のノーベル賞 民間企業から物理学賞 江崎玲於奈氏 “日本の頭脳流出”から筑波大学学長に(1973年)【映像記録 news archive】

2021/10/05 に公開
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1973年にノーベル物理学賞を受賞したのは江崎玲於奈さんです。
この映像は翌年3月に受賞後初めて帰国した際のものです。
タラップの下には報道陣が待ち受けます。

江崎さんはIBMの主任研究員として、1960年からアメリカに住んでいました。

江崎さんは1957年に、物質の間を電子が通り抜ける「トンネル現象」を固体で初めて発見。
この現象を利用して開発された半導体は「エサキダイオード」と呼ばれました。
この時の江崎さんは、ソニーの前進である、東京通信工業のサラリーマンでした。


帰国から2日後、国会内の大臣室へ当時の田中角栄総理を訪ねます。
天皇陛下からの銀杯を受け取り、田中総理からは感謝状が読み上げられ、手渡されました。

奥野誠亮文部大臣や森山欽司科学技術庁長官も立ち会いました。

握手後の懇談では、ほとんど総理が一方的にしゃべり、世界的頭脳もほぼ相づちを打つだけの聞き役になりました。
タバコを吸う総理の隣で、葉巻をくゆらせながら談笑します。


さらに2日後の16日には、日本記者クラブで記者会見しました。
江崎さんは教育について懸念を示し、
「最近の科学研究は、極端に専門分化している。
科学者、研究費、研究設備の層の厚いところでないと研究が進まない。
日本人はヒットでかせぐが、ホームランは少ない。
たまたま優秀な個性を持った人がいても、それを伸ばせる教育をしているかどうかが問題だ」と話しました。


ノーベル賞を受賞した時にはアメリカの研究所に移籍していたため「日本の頭脳流出」と騒がれた江崎さんですが、
1992年、つくば大学の第5代学長に就任し、帰国しました。

学外から学長が選ばれることが異例だという報道には異論を唱え、抱負を語りました。

江崎)「私がノーベル賞をもらったこと、自身が学問に身を突っ込んでいる人間であるわけですから、   アメリカ人の目から見ると(学長選出は)必ずしも異例ではない。
   引き受けた一つの動機は、なぜ江崎さんがこんな仕事を引き受けたのかはみなさんのひとつの興味の対象だが、それははっきりしていて、人間というのは教育によってかなり変わるものです。
   日本の教育は考えてみると、筑波大学を離れて考えていただきたいですが、やはり受験競争というものがかなり大きなひずみを与えているわけですね。
   これは日本人の性格にまで多分関係していると思うんです。
   改革すべきところは、今私にどうすうこうするという問題よりも、変えなくちゃいけないところはいっぱいあるように私は思うんです。


江崎さんは筑波大学の学長を6年務め、その後も2つの大学で学長になりました。

また、総理の私的諮問機関「教育改革国民会議」座長を務めるなど、教育に力を注いでいます。
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