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読書について 単行本 – 2013/9/21
小林 秀雄
(著)
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「批評の神様」はどのように読み、書き、ものを見たのか。
濫読や全集のすすめ、小説の読み方といった読書技法、良い文章とは何か、そして美しいものを見ることなど、実用的アドバイスに溢れるエッセイ集成。
〈目次〉
I
読書について/作家志願者への助言/文章鑑賞の精神と方法/読書の工夫/読書週間/読書の楽しみ/国語という大河/カヤの平/美を求める心
II
喋ることと書くこと/文章について/文章について/批評と批評家/批評について/批評
III
文化について/教養ということ(対談)
解説 木田元
濫読や全集のすすめ、小説の読み方といった読書技法、良い文章とは何か、そして美しいものを見ることなど、実用的アドバイスに溢れるエッセイ集成。
〈目次〉
I
読書について/作家志願者への助言/文章鑑賞の精神と方法/読書の工夫/読書週間/読書の楽しみ/国語という大河/カヤの平/美を求める心
II
喋ることと書くこと/文章について/文章について/批評と批評家/批評について/批評
III
文化について/教養ということ(対談)
解説 木田元
- 本の長さ187ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2013/9/21
- 寸法12 x 1.8 x 18 cm
- ISBN-104120045404
- ISBN-13978-4120045400
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2013/9/21)
- 発売日 : 2013/9/21
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 187ページ
- ISBN-10 : 4120045404
- ISBN-13 : 978-4120045400
- 寸法 : 12 x 1.8 x 18 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 28,234位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 7,671位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1902‐1983。東京生れ。東京帝大仏文科卒。1929(昭和4)年、「様々なる意匠」が「改造」誌の懸賞評論二席入選。戦中は「無常という事」以 下、古典に関する随想を手がけ、終戦の翌年「モオツァルト」を発表。’67年、文化勲章受章。連載11年に及ぶ晩年の大作『本居宣長』(’77年刊)で日 本文学大賞受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 人間の建設 (ISBN-13: 978-4101007083)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年3月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
若い頃の著者の作品は難しかったがこの本は割とすんなり頭に入った。タイトル通り読書についての作家の思想が盛り込まれている。教養を高めたい貴方にお薦めの本です。こう言う人が現代にはいなくなりましたね。
2023年10月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
批評の神様と言われた小林秀雄の没後40年を記念して出版された読書に関連する随筆を集めたもので、評論と違って気楽に書かれたものが多く愉しみながら読むことができる。その中の1篇「カヤの平」は著者が信州発哺高原で生涯初めての山スキー・ツアーに参加した時の体験を綴ったもので、洒脱な文章はちょっと夏目漱石を思わせるところがある。柳田国男編纂の教科書に全文が採録されて著者はとても喜んでいたそうである。他の随筆も要点を捉えて本質を突いた表現は流石である。ちょっと面白いと思ったのは普通1篇の文章は「である調」か「です・ます調」で統一するものと謂われていて混用するのは好ましくないと思っていたが、彼の文章では結構混用されていて特に不自然には感じなかった。やはり文章の調子というのが大切でそれを表現するためだろうか。
2018年2月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今朝読み終えました。
楽しくて、解りやすくて一日で読み終えました。
時間と金を読書にもっと費やそう、この著者の書物をもっと読みたい、と読んでる途中に段取したのはこの書物が初めてです。
こういった読書に関する書物は何冊か読みましたが、雲泥の差で小林秀雄著が大変良かったです。
再読はもちろんのこと、いつまでも本棚に在り続ける書物だと思っています。
楽しくて、解りやすくて一日で読み終えました。
時間と金を読書にもっと費やそう、この著者の書物をもっと読みたい、と読んでる途中に段取したのはこの書物が初めてです。
こういった読書に関する書物は何冊か読みましたが、雲泥の差で小林秀雄著が大変良かったです。
再読はもちろんのこと、いつまでも本棚に在り続ける書物だと思っています。
2017年2月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小林秀雄といえば難解な文章を書くことで知られているが、本書は著作の中では比較的読みやすい部類に入るのではないかと思う。
というのも、文中で「諸君」と明らかに目下(年下)の者を意識した呼びかけをしたり、若い世代を例に挙げて話を進めているところから、その世代に特に読んでほしいという意図をもってまとめられていることが判る。当然、学生でも理解しやすいように文章は平明であることが望まれるし、事実、筆者もその点に注意を払っていることが見て取れる。ページ数も程よく、内容もコンパクトにまとめられているので、筆者の本は初めてという方にも手に取りやすい。
内容は大きく分けて3つ。第1部は「読むこと」について、第2部は「書くこと」について、第3部は「文化について」の講演録と、哲学者・評論家の田中美知太郎氏との「教養」をテーマにした対談となっている。
タイトルだけ見ると、読書好きの方、自分の読書法に疑問を持っている方向けに見えるが、それらの方ばかりでなく、作家・ライターなど文章を書く仕事を希望している方に向けての文章も収められている。そしてこれは私見だが、人と人とのコミュニケーションをSNSなど主にネット上に求めている方々、炎上とまではいかないにしろ、何気ない一言から少なからぬ軋轢が生じ、相手との距離感を計りかねている方にとって、どのような姿勢で文章と向き合うべきかという参考にもなる。
正直、筆者の論すべてに「なるほど、もっとも」と、頷いたわけではない。
例えば、筆者は「書くことには技術がいるが、読むことにもまた技術がいる」とし、多くの人は物語であれば、ただ漫然と受け身に徹する子供の読み方しかできていないと指摘している。1冊の本から何をくみ取り、自らの糧として生かせるか、筆者はその読み方テクニックを具体例を挙げて説明してくれている。そこらにあるハウツー本と違い、生易しくはない方法だが、確かに実践することができれば、その人にとって読書はもはや安易な現実逃避手段ではなく、自分の意識───思想を確固としたものにする助けとして楽しむことができるだろう。けれど、同時に少しの反発も覚えてしまう。
酒を飲むのに作法や人生哲学が必ずしも必要でないように、読書にも純粋に娯楽のための娯楽本も必要ではないかと。筆者の言う読書法はなるほど立派ではあるが、飲み屋の客たちが猪口やグラスを片手に一斉に「この酒の燗のつけ方は・・・」とか、「男の生き方とは・・・」とかやりだしたら、それはそれは気持ち悪い。
最初に「比較的読みやすい」とは書いたが、あくまで「比較的」なので、カフェや電車の中で気軽に読める類の内容ではない。自宅であろうと、どこであろうと、きちんと思索のできる環境を整えてから読むことをおすすめする。
というのも、文中で「諸君」と明らかに目下(年下)の者を意識した呼びかけをしたり、若い世代を例に挙げて話を進めているところから、その世代に特に読んでほしいという意図をもってまとめられていることが判る。当然、学生でも理解しやすいように文章は平明であることが望まれるし、事実、筆者もその点に注意を払っていることが見て取れる。ページ数も程よく、内容もコンパクトにまとめられているので、筆者の本は初めてという方にも手に取りやすい。
内容は大きく分けて3つ。第1部は「読むこと」について、第2部は「書くこと」について、第3部は「文化について」の講演録と、哲学者・評論家の田中美知太郎氏との「教養」をテーマにした対談となっている。
タイトルだけ見ると、読書好きの方、自分の読書法に疑問を持っている方向けに見えるが、それらの方ばかりでなく、作家・ライターなど文章を書く仕事を希望している方に向けての文章も収められている。そしてこれは私見だが、人と人とのコミュニケーションをSNSなど主にネット上に求めている方々、炎上とまではいかないにしろ、何気ない一言から少なからぬ軋轢が生じ、相手との距離感を計りかねている方にとって、どのような姿勢で文章と向き合うべきかという参考にもなる。
正直、筆者の論すべてに「なるほど、もっとも」と、頷いたわけではない。
例えば、筆者は「書くことには技術がいるが、読むことにもまた技術がいる」とし、多くの人は物語であれば、ただ漫然と受け身に徹する子供の読み方しかできていないと指摘している。1冊の本から何をくみ取り、自らの糧として生かせるか、筆者はその読み方テクニックを具体例を挙げて説明してくれている。そこらにあるハウツー本と違い、生易しくはない方法だが、確かに実践することができれば、その人にとって読書はもはや安易な現実逃避手段ではなく、自分の意識───思想を確固としたものにする助けとして楽しむことができるだろう。けれど、同時に少しの反発も覚えてしまう。
酒を飲むのに作法や人生哲学が必ずしも必要でないように、読書にも純粋に娯楽のための娯楽本も必要ではないかと。筆者の言う読書法はなるほど立派ではあるが、飲み屋の客たちが猪口やグラスを片手に一斉に「この酒の燗のつけ方は・・・」とか、「男の生き方とは・・・」とかやりだしたら、それはそれは気持ち悪い。
最初に「比較的読みやすい」とは書いたが、あくまで「比較的」なので、カフェや電車の中で気軽に読める類の内容ではない。自宅であろうと、どこであろうと、きちんと思索のできる環境を整えてから読むことをおすすめする。
2014年9月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読むことの助言
一流作品のみ。一流は難解。難解だが安易に理解したと思う勿れ。一流作品にがつんと衝撃を受ける、人生に影響を受けることを恐るな。気に入った作家の全集を読め。文から人格を見出せるだろう。
小説を小説と思って読むな。
この本のおかげで無駄な本を読む時間の削減に繋がったと思う。
読み方が単なる濫読から、超一流の人達の本を丹念に何度も繰り返して読むような傾向になりました。
小林秀雄の文体に惹かれます。小林秀雄の全集を読むのもよかろう。
小説を読んで、実行することを忘れるような読み方は間違っている。
この本も何度も読むに耐えるものだと思っています。
非常に気に入っている本です。
一流作品のみ。一流は難解。難解だが安易に理解したと思う勿れ。一流作品にがつんと衝撃を受ける、人生に影響を受けることを恐るな。気に入った作家の全集を読め。文から人格を見出せるだろう。
小説を小説と思って読むな。
この本のおかげで無駄な本を読む時間の削減に繋がったと思う。
読み方が単なる濫読から、超一流の人達の本を丹念に何度も繰り返して読むような傾向になりました。
小林秀雄の文体に惹かれます。小林秀雄の全集を読むのもよかろう。
小説を読んで、実行することを忘れるような読み方は間違っている。
この本も何度も読むに耐えるものだと思っています。
非常に気に入っている本です。
2022年12月4日に日本でレビュー済み
Podcast『超相対性理論』#24 美とは何か で紹介されていた本。
紹介部分とは違うが、
「僕は僕自身を育てねばならぬ。いくら知識を得ても、それが僕の身につかねば僕は文化人にも教養人にもなれぬ。だから或る人間の素質、個性というものの、向上に関する信念が先ずなければ文化を云々しても無意味である。」
ここもまさに、超相対性理論で語られていることだと感じた。折に触れて読み返したい一冊。
紹介部分とは違うが、
「僕は僕自身を育てねばならぬ。いくら知識を得ても、それが僕の身につかねば僕は文化人にも教養人にもなれぬ。だから或る人間の素質、個性というものの、向上に関する信念が先ずなければ文化を云々しても無意味である。」
ここもまさに、超相対性理論で語られていることだと感じた。折に触れて読み返したい一冊。
2014年10月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小林秀雄の語る読書論を精緻な文章で読める貴重な本です。
読書論というと堅く感じられますが内容はこんなふうに読んでいたとかこんなことは考えていたという平易なものです。
ただ、一文一文に小林秀雄独特の深淵が感じられ、読むごとに目が覚めるような思いでした。
読書論というと堅く感じられますが内容はこんなふうに読んでいたとかこんなことは考えていたという平易なものです。
ただ、一文一文に小林秀雄独特の深淵が感じられ、読むごとに目が覚めるような思いでした。
2013年12月5日に日本でレビュー済み
『読書について』(小林秀雄著、中央公論新社)には、昭和7〜48年に書かれた、読書について、批評について、文化・教養についてのエッセイ17篇が収められている。
日本における文芸批評の第一人者であった小林秀雄に対する好き嫌いは人それぞれであろうが、なるほどと思わされる考察も多い。
「読書について」では、「濫読の一時期を持たなかった者には、後年、読書がほんとうに楽しみになるという事も容易ではあるまいとさえ思われる。読書の最初の技術は、どれこれの別なく貪る様に読む事で養われる他はないからである」と、濫読を勧めている。
「国語という大河」は、面白いエピソードで始まっている。「あるとき、娘が、国語の試験問題を見せて、何んだかちっともわからない文章だという。読んでみると、なるほど悪文である。こんなもの、意味がどうもこうもあるもんか、わかりませんと書いておけばいいのだ、と答えたら、娘は笑い出した。だって、この問題は、お父さんの本からとったんだって先生がおっしゃった、といった」。
「批評と批評家」の「どんな批評を書くにせよ、おお根のところは、批評を書くのではなく、言い度い事が批評になるのだというはっきりした自信がなくてはならぬと思います」という一節、「批評について」の「批評は、作品の背後に人間を見る様になった」、「私達は、相手を語ることによって自己を語り、反省的評言によって相手を論じている、そういう事をやるものである。つまり批評精神の最も根源的なもの、純粋なものと辿って行くと自己批評とか自己理解とかいうものを極限としているという事がわかって来る」という一節には、妙に納得してしまった。私も書評まがいのものを書き散らしているが、対象作品を語る形を借りながら、自分の考えを述べていることが多いからだ。
「批評」では、「自分の仕事の具体例を顧ると、批評文としてよく書かれているものは、皆他人への讃辞であって、他人への悪口で文を成したものはない事に、はっきりと気附く。そこから率直に発言してみると、批評とは人をほめる特殊の技術だ、と言えそうだ。人をけなすのは批評家の持つ一技術ですらなく、批評精神に全く反する精神的態度である、と言えそうだ」と述懐している。私も「貶す書評」は書かない主義なので、ご趣旨もっともと賛意を表したいが、小林先生が、一方では、かなり辛辣な批評、一刀両断に切り捨てるような批評をしていることと、どう整合性をとるのだろうか。
巻末の「教養ということ」という、田中美知太郎との対談は、すこぶる興味深い。田中の「政治家というものは、結果的には、自分の最初の議論を否定しても国利民福にプラスするようなものが何か出せるという、リアリスティックな精神がなければだめですね」という発言から、思わず、最近の小泉純一郎の「脱原発」発言を思い浮かべてしまった。
また、小林の「たとえば伊藤仁斎の場合、かれは塾を開いて月謝だけで暮しをたてていた。弟子は、あらゆる階級にわたり、金持の商人などもたくさんいたらしいが、そういう連中は、道楽という道楽はしつくして、学問が最後の道楽になったとも思えるんですね。仁斎先生のところへゆけば人生がわかる。暮してゆく意味がわかる。これは酒や女よりおもしろい」という発言。
さらに、小林のこの発言も印象に残った。「ぼくが西周で面白かったのは、西周の目を開いたのが荻生徂徠だったという点ですね。徂徠などは当時異端の学だったわけで、西周も、病気をしたときに、はじめて寝転びながら読んだわけですね。正統の学なら端坐して読まなければならない。たまたま読みはじめて、驚いてしまうわけですね。そこで開眼するわけです」。
小林秀雄は、やはり只者ではないことを再認識させられた。
日本における文芸批評の第一人者であった小林秀雄に対する好き嫌いは人それぞれであろうが、なるほどと思わされる考察も多い。
「読書について」では、「濫読の一時期を持たなかった者には、後年、読書がほんとうに楽しみになるという事も容易ではあるまいとさえ思われる。読書の最初の技術は、どれこれの別なく貪る様に読む事で養われる他はないからである」と、濫読を勧めている。
「国語という大河」は、面白いエピソードで始まっている。「あるとき、娘が、国語の試験問題を見せて、何んだかちっともわからない文章だという。読んでみると、なるほど悪文である。こんなもの、意味がどうもこうもあるもんか、わかりませんと書いておけばいいのだ、と答えたら、娘は笑い出した。だって、この問題は、お父さんの本からとったんだって先生がおっしゃった、といった」。
「批評と批評家」の「どんな批評を書くにせよ、おお根のところは、批評を書くのではなく、言い度い事が批評になるのだというはっきりした自信がなくてはならぬと思います」という一節、「批評について」の「批評は、作品の背後に人間を見る様になった」、「私達は、相手を語ることによって自己を語り、反省的評言によって相手を論じている、そういう事をやるものである。つまり批評精神の最も根源的なもの、純粋なものと辿って行くと自己批評とか自己理解とかいうものを極限としているという事がわかって来る」という一節には、妙に納得してしまった。私も書評まがいのものを書き散らしているが、対象作品を語る形を借りながら、自分の考えを述べていることが多いからだ。
「批評」では、「自分の仕事の具体例を顧ると、批評文としてよく書かれているものは、皆他人への讃辞であって、他人への悪口で文を成したものはない事に、はっきりと気附く。そこから率直に発言してみると、批評とは人をほめる特殊の技術だ、と言えそうだ。人をけなすのは批評家の持つ一技術ですらなく、批評精神に全く反する精神的態度である、と言えそうだ」と述懐している。私も「貶す書評」は書かない主義なので、ご趣旨もっともと賛意を表したいが、小林先生が、一方では、かなり辛辣な批評、一刀両断に切り捨てるような批評をしていることと、どう整合性をとるのだろうか。
巻末の「教養ということ」という、田中美知太郎との対談は、すこぶる興味深い。田中の「政治家というものは、結果的には、自分の最初の議論を否定しても国利民福にプラスするようなものが何か出せるという、リアリスティックな精神がなければだめですね」という発言から、思わず、最近の小泉純一郎の「脱原発」発言を思い浮かべてしまった。
また、小林の「たとえば伊藤仁斎の場合、かれは塾を開いて月謝だけで暮しをたてていた。弟子は、あらゆる階級にわたり、金持の商人などもたくさんいたらしいが、そういう連中は、道楽という道楽はしつくして、学問が最後の道楽になったとも思えるんですね。仁斎先生のところへゆけば人生がわかる。暮してゆく意味がわかる。これは酒や女よりおもしろい」という発言。
さらに、小林のこの発言も印象に残った。「ぼくが西周で面白かったのは、西周の目を開いたのが荻生徂徠だったという点ですね。徂徠などは当時異端の学だったわけで、西周も、病気をしたときに、はじめて寝転びながら読んだわけですね。正統の学なら端坐して読まなければならない。たまたま読みはじめて、驚いてしまうわけですね。そこで開眼するわけです」。
小林秀雄は、やはり只者ではないことを再認識させられた。