ロシアによるウクライナへの侵攻が始まってから約5カ月が過ぎた。攻撃は首都キーウ(キエフ)をはじめ、全土におよんだ。多くのウクライナ人が海外に逃れ、日本にもこれまでに1500人以上が避難している。
家族全員が笑顔で
複雑な思いを抱えたまま、避難させた両親と生活を送る在日ウクライナ人女性がいる。
来日して20年になるダンサーのマリーナ・アマウリさん(40)は、夫のセサルさん、娘のジャスミンちゃんと横浜市で暮らしていた。
ロシアのウクライナ侵攻をニュースで知ったマリーナさんは3月初旬から、地元ザポリージャに住む家族や友人を日本に避難させるための募金活動を続けている。集まった資金で電子チケットを買い、3月末に両親を日本に避難させた。だが、妹タチアナさんはウクライナに残る決断をし、日本には来なかった。砲撃された街を復興するため、夫と一緒にボランティア活動を続けているという。マリーナさんと両親は、妹の活動を応援しつつも、連日テレビで流れるニュースを見る度に、不安な気持ちが募る。「本当は日本に来てほしい」
着の身着のまま避難してきた両親は、家族写真数枚だけは、大切に持ってきていた。笑顔で納まる家族全員の写真には両親とマリーナさん以外に、タチアナさんの姿もある。「家族以外に大切なものはない」
マリーナさんは、家族全員笑顔で再会できる日を待ちわびている。
「子どものため、平和な世界に」
ウクライナの首都キーウに住んでいたオルハ・ジュラベルさん(44)は、2月24日朝、自宅のマンションで、花火のような音で目を覚ました。子どもたちは上空を飛び交う戦闘機の音におびえた。すぐに車で西部のリビウへと向かった。「とてもつらい決断だった」。その後、在日ウクライナ人の幼なじみのつてをたどり、3月19日に来日した。
オルハさん家族は現在、ウクライナからの避難民への支援を表明している大手不動産会社が提供するマンションの部屋を借りて住んでいる。もともと置かれていたベッドは手狭なので運び出してもらった。床に布団を敷いて寝る生活には慣れた。子どもたちは学校に通い、オルハさんは、都内の運送会社の倉庫で週2回、アルバイトをする。戦争で傷ついた人のためになりたいと、日本語を学びながら心理カウンセラーとしての活動も続けている。
多くの人々の優しさに触れた避難生活。日本人や、在日ロシア人の友人も出来た。だが祖国に残してきた夫ドミトリさん(44)や両親のことを思うと、寂しさがあふれる。5月上旬にリビウからキーウに戻ったドミトリさんとは毎日、オンラインで連絡を取り合う。「キーウはウクライナ兵が守っていて、空襲警報は鳴るけど今は安全。だけど今はまだ、家族にはウクライナから遠くに離れていてほしい」とドミトリさんは言う。
オンラインでの会話中、長男のヤンさんが、ドミトリさんが映るノートパソコンの画面に一瞬抱きついた。「子どもたちのために、平和な世界になってほしい」。オルハさんは願っている。(関田航、藤原伸雄)