忍者ブログ

ノスタルジック解説ブログ

那覇市の名所旧跡・通堂【昭和12年「沖縄案内」より】

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

那覇市の名所旧跡・通堂【昭和12年「沖縄案内」より】

この文章は、昭和12年に刊行された「沖縄案内」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


通堂

 第一桟橋附近の地名である。昔は進貢船、即ち唐船がこの港から出入りしていたので、船出を見送る光景といったら今から想像もつかぬ程で、一度行けば生還を期し難い海路のこととて実に悲哀な劇的場面を演出していた。が、之に反して唐船が帰帆する烽火の報せが一度支柱に広まると男女老幼一斉に勇踊して通堂を目がけて飛び出すのであった。

「唐船どーい、さんてーまー、一散はーえい、ならんすや、ユイヤナー、若狭町の、サー瀬名波の老人どー」(唐船だ唐船だという布達出しがあっても一生懸命に走り出さんのは若狭町の耳のつんぼで足の不自由な瀬名波という老人ばかりだ)

という意味で、この俗謡は軽快爽絶実に当時の気分を甦らせる音曲である。音此の通堂の埠頭には冊封使を迎える為の迎恩亭(俗に通堂屋)という建物があり、国王がここに臨んで冊使を迎えたのであった。迎恩の額は■■の弟、■■の書で、今でも県立図書館に保存してある。又、慶長以後、廃藩当時迄は通堂の上陸地に十字架の踏石を埋めてあったということであるが、埋没して伝わらない。今の第一桟橋の控室附近の治には以前、沖の宮と臨海寺が併設されてあったが、築港の為に宮は安里八幡の隣に、寺は住吉町へ移転した。

月や後處此處に眺めてど見ちやる 沖と住吉の秋の今宵(琉歌)

対岸住吉の森には小祠住吉神社と儀間真常の墓がある。
PR

コメント

プロフィール

HN:
ノスタルジック時間旅行
性別:
非公開

P R