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ノスタルジック解説ブログ

那覇市の名所旧跡・那覇市の説明【昭和12年「沖縄案内」より】

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那覇市の名所旧跡・那覇市の説明【昭和12年「沖縄案内」より】

この文章は、昭和12年に刊行された「沖縄案内」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


那覇市

 首里が京都なら那覇は大阪に当たる。即ち一は旧都であり、一は商工業地である。今では那覇は県庁の所在地で政治・交通其の他すべての中心となり、随って県下第一の都会で、沖縄の総人口五十五万の一割強に当たる六万余は面積0.3方里のここに集中し、近接市街地を合わせると七~八万に及んでいる。

 那覇は今より四百八十年前迄は一個の浮島であったが、尚金福王の時冊封使を迎えるために儀に長虹堤を設けて連続したのである。

 藩政時代は中山城下に隷し、首里三平に対して那覇四町(西・東・泉崎・若狭町)と称し、寧ろ下町の感があった。当時久米・久茂地と泊とは那覇と対立した行政区域であり、垣花方面は元真和志間切に属していたが、後小禄間切の治内となり、明治三十六年、那覇に編入せられた。その後牧志は真和志村より併合したのであるが、近来急速に膨張を来し、今では城嶽一帯並天久・壷川の二方面に溢れて大発展を遂げつつある。首里及び真和志を併合して大沖縄市を出現するのも遠くはあるまい。市内は二十四町に区分されている。

西本町・西新町・通堂町・上ノ倉町・辻町・天妃町・東町・旭町・上泉町・下泉町・久米町・久茂地町・美栄橋町・松下町・松山町・若狭町・高橋町・崇元寺町・前島町・牧志町・壺屋町・垣花町・住吉町・山下町。
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