中田英寿や小野伸二、稲本潤一、高原直泰、遠藤保仁などそうそうたるメンバーが揃った日本代表黄金期メンバー。
横浜マリノスジュニアユースに入団し全国優勝を経験するもユースに上がれず、神奈川県の桐光学園高校に入学した。1996年の選手権では準優勝を経験した。
横浜Fマリノスに入団し、日本代表にも選出された。
1999年 シドニー五輪アジア最終予選 国立 カザフスタン戦。本戦出場を祝うFK。中田コールの中での談笑シーンが最高でした。
2000年のシドニーオリンピックでは、南アフリカ、スロバキアに勝利して予選リーグ突破。南アフリカ戦で高原のゴールに繋がるフリーキックを蹴った。準々決勝アメリカ戦で中田がPKを失敗し敗戦した。
2000年 キリンカップ スロバキア戦。高い壁を越えるスーパーFK。絶対に取れない軌道でした。
2002年の日韓ワールドカップではトルシエ監督に選出されずまさかの落選となった。
その後イタリアセリエAのレッジーナに移籍し、伝説の5人抜きやローマ戦でのフリーキックなど活躍した。パルマに移籍した中田英寿との日本人対決も実現した。
スコットランドのセルティックに移籍し、3度のリーグ優勝やMVP、年間ベストゴールなど数多くのタイトルや賞を獲得した。
2005年 コンフェデレーションズカップではロナウジーニョ擁するブラジル相手にミドルシュートを決めたり、2003年は名手バルデスがいるフランスからフリーキックでゴールするなど活躍が目立った。
2004年 初戦オマーン戦の左アウトサイドで決めたファンタジーゴールは美しかった。
2006-2007シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではマンチェスターユナイテッドとの試合でフリーキックによる2ゴールを決め決勝トーナメントに導いた。オランダ代表ファンデルサールから2点奪った。マンチェスター側はルーニーやクリスチアーノロナウドなど最高レベルの選手が揃っていた。
2006年ドイツワールドカップではジーコの信頼は厚かったが、高熱に悩まされるなど思うようなプレイができなかった。
2009年に俊輔の夢であったスペインリーグへの移籍を果たした。エスパニョールでは途中からベンチを温める日々が続いた。
日本代表では本田圭佑がポジション争いを仕掛けてくるなど下からの圧力を経験した。オランダ戦ではフリーキックを巡って少しもめた。
2010年南アフリカワールドカップではレギュラーを外れた。本田圭佑のワントップという超守備的布陣だった。
その時の心境をインタビューで中西哲生に語っている。
Jリーグ復帰後は横浜Fマリノス、ジュビロ磐田、横浜FCに所属した。キングカズこと三浦知良との共演も果たしている。
本田圭佑、堂安律、久保建英とレフティが受け継がれている。
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