NHK『青春プレーバック』出演:松本隆 "ぼくの風街、麻布・青山・六本木"

2015/08/24 に公開
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【祝・大盛況 "風街レジェンド2015" 記念アップロード】

1986年2月22日放送 NHK『青春プレーバック』 "ぼくの風街、麻布・青山・六本木" >>出演:松本隆・戸川京子・細野晴臣

・松本隆さん(当時36歳)が思い出の地を聞き手の今は亡き戸川京子さんと巡るNHK 『青春プレーバック』題して "ぼくの風街、麻布 ・青山・六本木"……。
・渋谷の仕事場から、生家のあった青山キラー通り、そして、西麻布3丁目16番地を経て、麻布・暗闇坂へと場面は進む……。
・暗闇坂では、ご当地ソングじゃないけれどと「暗闇坂は蝉時雨……」という歌(「暗闇坂むささび変化」)に触れた後、「『風街ろまん』っていうLP作ってね」と“風街”について語り始める……。

戸川「……どういう気持で“風街”ってお付けになったんですか?」
松本「……東京って変わっていくじゃない? この坂も変わったじゃない。変わる前のものっていうのはさ、頭の中に残るじゃない、記憶でしか残って無いんだけど。で、そういうものの断片をね、全部継ぎ合わせていくと、架空の一つの街ができると思った訳。だから、東京って、都電はもう走ってないんだけど、頭の中にはやっぱり、都電走っている時の、風景とか、そういうものが心の中に残っていたりもすると。そういうものを、レコードなり、詞なりね、小説なりで、もう一回表現してあげれば、全然知らなかった人達にも見えてくるようなね。本当はこういう街だったんだよみたいなね。だからひとつの理想郷なんじゃないかな……」

・六本木では(多分)「ハンバーガーイン」(店の窓にハンバーガーインの文字が反転して見える))にて、細野さんも加わり、“生意気”と“アホ”の波があった(松本&戸川=バカ受け+爆笑)という出会いの頃の印象から、ビートルズ前後の若者像の違い、都会に生きる若者の孤独感の描出、“研究室に4人で閉じこもって”と喩えた活動、“10年早いことやっている”ことに、10年過ぎて時代が認め始めた等々を細野さんと淡々と語る……。

・細野さん・松本さんのモミアゲ剃り跡が、まさしく“青春プレーバック”って感じで微笑ましいです。
・西麻布3丁目16番地の路上、道行く学ラン少年が停めてある車をチラ見して、「オッ、ポルシェ!」と心の中で声を上げたと想像される表情をした後、カメラに視線を向けて通り過ぎるのが、この世代特有の微熱少年ぽくて胸キュンです。
・あと、個人的には、“風街”について語ったシーンでの以下のやりとり……

戸川「松本さんの風街は、あのぉ、住所でいうと、どこか決まっているんですか?」
松本「『微熱少年』という小説の中ではさ、えーと……、青山と渋谷と……」
戸川「ああ……」
松本「……麻布を三角形で結んだ……」
戸川「今でもバッチリそう?」
松本「そう、そういう感じするね。だから、それは、僕なりの風街であって、もしかしたら、だから、何というかな、たとえば大阪には大阪の風街ってあるかもしれないし」
戸川「人それぞれで」
松本「京都には京都の風街あるかもしれないし。人それぞれで、また、全然、違う風街があって……」
戸川「私は新宿(エヘッ)」
松本「新宿? 新宿生まれ?」
戸川「新宿生まれ」
松本「……ほんとぉ」

……この最後の少し吐息混じりな詩情を感じさせる「……ほんとぉ」のイントネーションにグッときました。

・ゴースト気味のレトロ画像で恐縮ですが、気は心……ってな訳で、松本さんお疲れ様でした&これからも益々のご活躍を!