「記憶に残る母に」末期がん宣告後もキッチンカー移動販売続ける女性の思い(後編)【佐賀県】 (23/04/04 18:40)

2023/04/04 に公開
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『前編』
日本人の死因の一つとして多い病「がん」。全国で年間37万人余りが亡くなっていると言われています。末期がんにあたるステージ4と宣告されながらもキッチンカーで移動販売をしているみやき町の女性がいます。販売を通じて実現したい母としての思いを取材しました。

「この体が動く限り、最後までやり遂げたい」そう覚悟を決めたのは2022年の夏、44歳の時でした。
みやき町に住む秋吉由紀さん45歳。ステージ4のがんと闘いながらキッチンカーでの移動販売を続ける3人の子供を持つ母です。

【秋吉由紀さん】
「この瞬間が“やりがい”また来てもらってそこからまた話ができていって、新しい友達ができて、ずっと広がっていくところが最高に面白い。「もっと生きたい」と思いますね、本当に」

鮮やかなピンクが目を引くキッチンカー「ユキチャンキッチン」。土日を中心に県内のイベントやJR中原駅の前で出店しています。

【買いに来た人】
「ん〜〜おいしい!。イチゴがどーんと乗っててびっくりした」
「大体家族で、友達と来る時もある!」Q・好きなクレープは?「マンゴーです!」

人気メニューはホイップたっぷりのクレープ。子どもたちが小遣いで気軽に買えるようワンコインで販売するのが秋吉さんのこだわりです。

元々、調理師として働いていた秋吉さんは30歳で夫の敬介さんと結婚し、3人の息子を授かりました。
しかし、2015年胃の痛みで病院に行くと、胃がんと乳がんが発覚。すでに末期のステージ4まで進行していて「余命2年」の宣告を受けました。

【秋吉由紀さん】
「がんという意味が全然最初は分からなかったですよね。「何で私ががんになるんだろうそんなの嘘。こんなに元気なのに、嘘だ。ちょっと胃が痛いくらいだから嘘だ」というのが現実だったんですよね」

「がんになった時に死ぬまでにしたい100のことを書いたノート。がんセンターでやりたいことを必死に書いていった。自分の店を持ちたいっていうのは一番最初に」
秋吉さんが夢をつづったノートです。
「死ぬときはそばにいて欲しい」「いつまでもカワイイママでいたい」84のリストの中で一番最初に書かれていたのは飲食店を営む夢でした。

【秋吉由紀さん】
「やっぱ「私はここで死ぬわけにはいかない。やりたいことをやってどうせなら死にたい。あと何カ月どれだけ生きられるか分からないけれども、どんどん夢が膨らんでいった。そこからどんどんキッチンカーに行く道に…」

退院した後、体調を見ながら2022年7月にキッチンカーでの販売を決意。ついに9月、その夢が実現しました。
闘病生活が始まって7年目。余命宣告5年以上超え生きているのは珍しいといいます。月1回の定期健診には夫の敬介さんも同行します。

【夫・秋吉敬介さん】
Q・キッチンカーの販売どう思う?「常に一生懸命なのが本人らしい。病気のことを忘れたり気がまぎれるならそっちの方が。ほとんど本人任せというか、自分がやりたいように決めて、やってくれたらそれでいいかな」

【秋吉由紀さん】
「主人もやりたいようにやるので、次は私の番かな。最後の一回だけのお願い」

定期健診の結果を受けて、秋吉さんは今後の治療についてある決心をします。

『後編』
定期健診の翌日、結果が出ました。

【医者】
「ちょっと良くなかったかな。文面でいうと変わっているのはここだけで、盲腸のあたりが腹膜播種(がんの転移)の疑いがあります。今の治療をもうちょっと続けてみるか、抗がん剤に変えるかというところ」
【秋吉由紀さん】
「実際は抗がん剤に変わった方が体は楽?」
【医師】
「すごく悩ましい、難しいというところは“変え時”いずれは必ずホルモン療法が使えなくなって抗がん剤に変わらないといけないけど、抗がん剤も飲み薬の楽な抗がん剤からだんだん髪の抜ける抗がん剤に変わっていく」

1年前、大腸へも転移が見つかり、体重が激減した秋吉さん。しかし、体調に大きな変化がないこと、5月、大きなイベントを控えていることを考え、いまのホルモン療法を続けることにしました。

診察結果はあえて息子たちには伝えません。「男の子はすぐ心配するから」と秋吉さんは話します。

【夫・秋吉敬介さん】
「(今は)とにかくとことん自分がやりたいことをやっていつ来るか分からんけど、その時は「自分は悔いなく亡くなれた」と思ってもらえればいいかなと思って今もずっと見てるような感じ」

「検査はいい時もあるけど波があるので、数値が悪くても後でよくなったりもする。それを信じて」

診察結果が悪かったなか、なぜキッチンカーを走らせるのか。そこには母として、生きている間に実現したい最後の夢があります。

【秋吉由紀さん】
「子供たちとずっと一緒にいてあげることはできないので、子どもたちの友達とかそこにまつわる人たちが私のことを思い出して、笑って、ひと時を過ごしてくれたらいいな。“記憶に残る”私はいてあげられないけど、その分友達がいてくれる。(私の)思い出が残ってほしいなと」

地域の人たち、そして我が子の“記憶に残る”それが母としてできる最後の贈り物だと考えています。

【秋吉由紀さん】
「闘病生活が続くのでこういう元気な姿が見られないかもしれないけど…できるだけキッチンカーに立ってみんなに笑顔を届けていけたら」

秋吉さんは「この活動を見て同じがん患者の皆さんに元気を与えられれば」と取材をうけてくださった。
キッチンカーの色「マゼンタ」にはイタリアで「勝利」という意味がある。
それにちなんで「がんに勝つ」という願いも込めている。