浪曲 京山幸枝若「上州男一匹(前)」

2023/01/27 に公開
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日本の伝統的な「浪曲」だけに特化したチャンネルです。
ごゆっくり堪能してください。古い音源もあり、聞きづらいものもあるかと思いますがご容赦ください。
※"初代 京山幸枝若 (きょうやま こうしわか、1926年(大正15年)8月10日 - 1991年(平成3年)6月24日)は浪曲師。本名は小椋喬。岡山県出生。兵庫県姫路市出身。
父は浪曲師の加茂川燕楽で母は加茂川蘭子で妹には浪曲漫才のフラワーショウの華ゆりがいる。
そのため、幼い頃から厳しい修行を受け全国を巡業、学歴は小学校1年1学期だけである。
5歳(6歳とも)で初舞台を踏む。
当初は2代目京山幸玉の門下で13歳の時に初代京山幸枝門下となり、幸太郎と名乗り、1941年には京山幸枝若と名乗った。
戦後は、山県隆の名で地方巡業をしている時に幸枝に知られ、再び幸枝若を名乗り、1953年に姫路に戻る。
師匠譲りの読み物を持ち前の美声で語り、人気を博した。
大阪の民謡である江州音頭や河内音頭でそれぞれ京山幸枝若節を確立。
また創作浪曲にも力を入れた。
若者向けの番組に主演したり、桜川唯丸や漫才師やロックバンドのヒカシュー等と一緒に舞台をやったりするなど、浪曲の古いイメージからの脱却を図ったこともある。
長らく曲師は二丁三味で藤信初子と小池菊江が務めた。
またギターを近江吾朗が務めた。
歌謡浪曲を競い合った時代の一人である。
なお、タコが入っていないたこ焼きが好きであった。"
"2代目 京山幸枝若(きょうやま こうしわか、1954年4月1日 - )は浪曲師。本名は福本一光。吉本興業所属。浪曲親友協会会長。兵庫県姫路市出身。初代京山幸枝若には子供がいて、浪曲で三味線の伴奏をする曲師との間に出来た子だった。その子は母である曲師側に引き取られ興行会社を経営していた曲師の夫が父親となり子を育てた。
子供は成長して学生時代の半ばはフォークソングに熱中して浪曲には見向きもしなかったが、友人が持ってきた実の父が口演しているレコードを聞き感動してそれから浪曲の道を志した。デビューした当時からやはり親子なので名人幸枝若と声・容姿がソックリな事から人気は上がっていった。しかし、ある日両親から自分の父親が義理の父親であり、本当の父親は自分があこがれている幸枝若である事を告げられた。ショックを受けたが「こうなったら父である幸枝若に弟子入りしよう」と1974年に親子として再会してすぐ弟子入りして京山福太郎と名乗った。ある時は厳しい師匠の関係又ある時は親子になって修行時代を過ごした。
しかし1991年に父親であり師匠であった幸枝若が亡くなり衰退の一途をたどる浪曲界に一時は諦めを感じたが多くのファンのためにと奮闘し、2004年「京山幸枝若」を襲名して「二代目京山幸枝若」となった。"