名波浩の全て サッカー人生ダイジェスト 全プレー集 黄金世代や中田英寿を支えた10番 天才レフティ ゴール集 日本代表 セリエA ベネチア ジュビロ磐田 Venezia FC

2021/06/30 に公開
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西益津小学校、西益津中学校を経て、静岡県清水市の清水商業高校に入学した。
大岩剛、山田隆裕、望月重良らと高校総体、ユース選手権を制覇した。
1991年 第69回全国高校サッカー選手権大会ではPK戦の末3回戦で敗れた。市立船橋高校に所属していたワッキーのマンマークにあっていた。
1991年に順天堂大学に入学した。大学ナンバーワンと言われた。
1992年にU-23日本代表として澤登正朗らとともにバルセロナ五輪を目指したが、アジアの壁を崩すことはできなかった。
1993年にJリーグが開幕。1995年にジュビロ磐田に入団した。その年の4月12日の柏レイソル戦でJリーグ初ゴールを決めた。
オフト監督のサッカーを忠実に体現した。ジュビロは元イタリア代表のサルヴァトーレ・スキラッチ、現役ブラジル代表でキャプテンを務めたドゥンガ補強した。
また、中山雅史、藤田俊哉、田中誠、奥大介、福西崇史、服部年宏、高原直泰などが揃い、黄金期が訪れた。
鹿島アントラーズと2強で数々の名試合を演じた。アントラーズ相手に芸術的なフリーキックを決めた。
1997年に2ndステージで初優勝、1998、99年と1stステージ優勝した。
加茂監督に認められ日本代表に招集された。前園真聖や中田英寿らの台頭もあり、ボランチにコンバートされた。
1998年のフランスワールドカップのアジア1次予選、最終予選にチームの中心で参加した。
背番号は10でラモス瑠偉から受け継ぐ形となった。
日韓戦では前半早々に貴重なゴールを決めて勝利に導いた。ジョホールバルの歓喜を経験し本大会にも出場した。
本大会では足に当たってこぼれたボールをアルゼンチンのエースであるバティストゥータに拾われゴールを決められた。
1999年にトルシエ監督のもと、コパ・アメリカに出場した。
ペルーやパラグアイやボリビアと対戦したが、中田英寿の辞退や、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一ら黄金世代、五輪世代の融合前で、全く良いところがなく敗退した。

1999年にイタリアのセリエA ACヴェネツィアにわたった。ロナウドやビエリ、ロベルトバッジョなど世界最高峰の面影残るリーグで1シーズン戦いぬいた。
初戦はゴールポストをたたくシュートやアシストを決めて伝説的なデビューとなった。
第18節 ウディネーゼ戦でリーグ戦初ゴールにして唯一のゴールを決めた。
大雨の中、ペルージャ中田英寿との日本人対決が実現した。
2000年のアジアカップ レバノン大会に招集された。サウジアラビアやウズベキスタン、イラクなど強豪国を大差で倒し、史上最強と言われた。
イラク戦では俊輔との連携で美しいゴールを決めている。
ボラ・ミルティノビッチ率いる中国を倒し、決勝でも勝利し優勝を遂げた。名波は大会MVPに選出された。
その後ジュビロに復帰後、完全優勝など黄金期を支えた。
右半月板損傷により代表から遠ざかった。トルシエは2002年までの復帰を望んだが叶わなかった。
またセレッソ大阪、東京ヴェルディに移籍し、最後ジュビロに戻って現役を引退した。
引退試合で芸術的なスーパーボレーを決めた。

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