連合艦隊司令部地下壕、公開=旧日本海軍が拠点にした慶応日吉キャンパス

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慶応義塾大学は23日、日吉キャンパス内(横浜市港北区)にある連合艦隊司令部跡の地下壕(ごう)を報道関係者に公開した。
 日吉台の地下に掘られた壕は、東横線日吉駅の周辺に4カ所あり、その全長は約5キロにも及ぶ。連合艦隊の司令部が置かれた地下壕はキャンパス南の寄宿舎側。2000年に内部の整備を終え、主に学生を対象に入坑を許可してきたが、戦後70年に当たり、語り継ぐことの重要性を考慮し、報道向けに公開することとなった。
 太平洋戦争の激化により、多くの艦船を失い、旗艦からの指揮を諦めて司令部を陸上に移すことにした海軍。東京の大本営、横須賀の軍港に近く、既存施設が利用でき、無線の受信状態が良いなどの理由から、この日吉を拠点に決めた。
 壕は地下30メートルに位置し、気温は約15度。湿度が高く、至る所で壁や床が濡れている。空気坑が複数設けられ、毎秒1メートルで風が流れる。地上の施設は耐弾式の堅坑で、1トンクラスの爆弾にも耐える仕様となっている。
 司令長官室は、入口から数分歩いた奥のエリア。壁面はきれいなモルタル仕上げで、当時は畳が敷かれ、床の間もあった。地上司令部として利用されていた寄宿舎から地下まで階段が設けられていたが、126段もあったため、連合艦隊の豊田副武司令長官はあまり利用しなかったという。
 電信室は、30台の短波受信機が置かれ、暗号室とともに24時間3交代制で約200人が勤務。太平洋上で激戦を繰り広げる戦艦や航空機からの無線を傍受し、暗号を解読した後、作戦を立案していた。特攻機が敵艦に突撃する際、モールス信号で「ツーーーーー」と出し続けるがその音が途絶えた時、また撃沈された戦艦大和が傾いていく様子を逐一送信してきた時など、電信員はやるせない気持ちになったという。
 壕内を案内してくれた同大学教養研究センター所員の阿久沢武史氏は、「身近な人から戦争体験を聞く機会が減っている」とし、「戦争を感じる、考える場として、この地下壕は今後も非常に重要な意味を持っていく」と語った。

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