浪曲 伊丹秀子「雪の渡り鳥」

2023/01/20 に公開
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日本の伝統的な「浪曲」だけに特化したチャンネルです。
ごゆっくり堪能してください。古い音源もあり、聞きづらいものもあるかと思いますがご容赦ください。
天中軒 雲月(てんちゅうけん うんげつ)は浪曲の名跡。当代は5代目。初代と四代が男性、二代・三代・五代が女性と、男女が交互に襲名している、芸の世界でも極めて珍しい名跡である。
初代天中軒 雲月(1895年3月 - 1945年4月6日)九州佐賀県の生まれ、10歳で浪曲の世界入り、天才少年浪曲師として九州一帯で名を馳せる。
2代目天中軒 雲月(1909年10月14日 - 1995年10月28日)本名は伊丹とめ。6歳の時に藤原朝子(ともこ)の名で初舞台。1922年には座長。当時、役柄により声色を老若男女巧みに使い分ける「七色の声」で一躍有名になる。戦後になり、伊丹秀子の名に変え終生活躍した。
3代目天中軒 雲月(1928年 - 1987年12月22日)2代目雲月(伊丹秀子)の次女。後に歌手に転じ永田とよこを終生名乗る。
4代目 天中軒 雲月(1916年3月31日 - 1995年3月31日)本名は立石 弘。福岡県直方市の生まれ、1930年4月に初代雲月に入門し月坊、初代が病で倒れたために独立し少年浪曲師として一座を組み地方を転々とし、1950年6月に4代目雲月を襲名。戦後浪曲四天王の一人。
5代目 天中軒 雲月(てんちゅうけん うんげつ、1953年(昭和28年)11月25日 - )は、岐阜県郡上市出身、名古屋市在住の浪曲師。1968年2月に名古屋中日劇場で4代目天中軒雲月に入門、歌手志望だったが、師より「浪曲に向いている」と薦められ浪曲師となる。
2009年8月10日に5代目天中軒雲月襲名。SNS発信など若い力に理解がある浪曲師の一人である。
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