日本語訳あり【中田英寿のイタリア語】デルピエロと対談、2人の英雄が素顔のままで語る、日本のことについて、2004年7月、Hidetoshi Nakata、Alessandro Del Piero

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1998年9月、中田英寿氏とデル・ピエロ氏は、中田氏のセリエAデビュー戦で相まみえた。両者はその後、ピッチで何度もぶつかり、ピッチ外ではすべてを語り合う仲となった。そして2004年7月、メディアによる“ヒデとアレ”のビッグネーム対談がミラノの地で初めて実現した。今なお“英雄”として語られる2人が素顔のままで語り合った。

0:00 日本訪問について
0:39 イタリアで放送される日本紹介のテレビ番組について
1:31 相撲が好き
2:26 イタリア語が話せなかった時のレストランの話
3:09 アケボーノ!
4:21 ユベントスのスタジアム、練習場について
6:28 フィオレンティーナ戦でのデルピエロのゴールについて
7:41 中田がユベントス戦で決めたゴールについて
8:44 とにかく、ヒデはすごい
9:05 カズ、中村俊輔について
9:50 ホームページによる情報発信について
12:12 デルピエロと日本の接点の原点、日本の地理


<デルピエロと日本の関係>
・自身の日本語ブログを開設するなど親日家としても知られ、以下の様なエピソードがある。なお日本に興味を持つようになったのは小学校の地理の授業で先生から「どこかひとつ海外の国を選んで発表しなさい」という課題にたまたま日本を選んだことに由来するという。
・キャプテン翼の作者である高橋陽一は2000年にヨーロッパを訪れた際にデル・ピエロから「子どもの頃にキャプテン翼を読んでましたよ」と声をかけられており、2011年には自身のブログの中で明石家さんまから贈られた高橋陽一直筆のイラストを公開しているなど、今でも愛着を持っている事が伺える。
・新日本プロレスの熱烈なファン。1970年代後半から1980年代前半にかけてイタリアでもTV放映されていた『ワールドプロレスリング』を子供の頃よく見ていたという。中でも藤波辰爾、アントニオ猪木、木村健吾、タイガーマスク(初代)のファンであり、2005年にテレビ朝日のインタビューで藤波辰爾と対面した際には歓喜して、彼の技のひとつであるドラゴンスリーパーをリクエストしてかけられていた。
・アニメ『ルパン三世』のファン。
・2011年3月に日本で起きた東北地方太平洋沖地震の惨事を知り、チャリティー用に自らデザインしたTシャツ(イタリアの国旗の上に日の丸を乗せ「友」と言う文字が刻まれている)を販売し、その売り上げは復興の為に寄付する事を発表した。特に被害甚大であった仙台市は2002 FIFAワールドカップのイタリア代表のキャンプ地であり、その惨状を視て深い悲しみに陥ったと言う。そのTシャツを長友佑都も着用している。また慈善事業での収益金として2300万円を寄付した。
・2012年7月21日、日本のカシマスタジアムで行なわれた東日本大震災復興支援 2012Jリーグスペシャルマッチに自ら参加を申し入れゲストプレーヤーとして参加。『Jリーグ TEAM AS ONE』(被災地のクラブ・出身者の選抜チーム)の一員としてプレーし、後半25分にはミドルシュートで自ら得点を決めた。