約30年前の「水返せ運動」時代に翻弄される大井川

2020/03/26 に公開
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毎週木曜日にシリーズでお伝えしている「リニア工事と大井川」の4回目です。今回は約30年前に「大井川の水を返してほしい」と地域が立ち上がった大規模な住民運動を振り返ります。時代の流れ、大規模プロジェクトに翻弄された大井川の流域を考えます。
(大井川を再生する会・久野孝史会長)「もっと川幅が広かったんですよ。水量も多くて。」
 子どものころに大井川で遊んだことを懐かしむ久野孝史さん、70歳です。久野さんは約30年前に旧・川根三町で展開された運動に参加していました。
(シュプレヒコール)「大井川に水を戻せ」「命の水を返せ」
 1980年代後半、旧・川根三町の住民と行政が起こした「水返せ運動」は全国的にも注目されました。中部電力の「塩郷ダム」が1960年に完成したことで大井川に水枯れが起きたのです。大井川の水の多くは発電に使われます。水を運ぶトンネルが山の中を通っていて、「塩郷ダム」でせき止められた水もトンネルを通じて川口発電所に送られます。川には水が流れず、特に塩郷ダムの下流、川根町は「河原砂漠」と化しました。地下水の不足や茶の品質の低下などが指摘され、大規模な運動に発展しました。河川敷で行われた決起集会は1000人ほどの住民が集まり、水を求めて町が一つになりました。
(久野孝史会長)「地区全体、町長を先頭に議会、住民、地区の代表が完全に一致して向かっていったという感じですね。」
 県としても大井川の水は大きな課題でした。当時、県の河川課でこの問題を担当した鈴木勲さん、80歳です。
(県河川課で担当した鈴木勲さん)「(電力会社にとって)水というのは一滴でも大事。それがお金になるわけです。水によって発電をしてそれを売電して。水を放水することは商売道具がなくなるわけですから、既得権というか、自分たちの水は自分たちで確保したい。」
 当時の調査で塩郷ダムから毎秒3トン放水すると、電力会社に年間で6億2千万円のマイナスが生じると計算されました。発電効率を維持したい中部電力との交渉は難航しました。当時の斉藤滋与史知事も大井川問題に乗り出しました。
(県河川課で担当した鈴木勲さん)「(斉藤)知事が『川に水あり、水なきは川とは申せず』と議会で答弁をして、とにかく川に水があることが非常に重要だと。ですから中電ときちっと話をして大井川に水を戻すというスタンスを持ってました。」
 水をめぐる交渉は4年近くに及びました。最大で「毎秒5トン」の放流を取り戻すことができました。大井川には明治時代から造られ続けてきた、多くのダムがあります。「電源の開発」を求めた時代が色濃く反映されます。
(久野孝史会長)「(大井川は)国策で水力発電をずっとやってきた。それによってこの大井川鉄道であり、道路であり開発されてありがたい。恩恵も受けたけど、最終的には住民の暮らしとか環境をよくしていかないと、これから住む人たちに影響があると思う。」
 「国家プロジェクト」でもあるリニア事業によって大井川の水が減るという懸念が住民にはあります。大井川の流域は再び時代に翻弄されています。