『當麻寺』 国宝・重要文化財がテンコ盛り!

2022/07/25 に公開
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『當麻寺』 国宝・重要文化財がテンコ盛り!

當麻寺(たいまでら)は、612年に用明天皇の第3皇子麻呂子王が河内国に建てた万法蔵院に始まり、その後、麻呂子王の孫當麻真人国見が役行者ゆかりの現在地に移したものといわれます。

681年に弥勒仏を本尊として金堂が創建され、以後、講堂・千手堂(現・曼荼羅堂)・東西両塔などの諸堂宇と、中院(現・中之坊)をはじめとする塔頭寺院が順次完成していきました。

創建当初は三論宗を奉じる学問寺院でありましたが、823年(弘仁14年)に空海が当寺に参籠してから真言宗となり、當麻曼荼羅を中心として修法・観想・祈祷などの仏道実践を重んじる密教寺院に転化しました。この當麻曼荼羅は中将姫が一夜で織りなした伝説とともに全国的に広まり、多くの参詣者を迎えて浄土信仰の霊場として栄えた。この浄土信仰の高まりによって、南北朝時代には京都知恩院が當麻寺境内地に往生院(現・奥院)を建立することになり、後に浄土宗が参入する契機となりました。この結果、現在は真言宗と浄土宗の併立となっています。

平安後期に一時興福寺の末寺となったため、1180年(治承4年)、平家の南都攻めの際に標的となり、金堂が大破、講堂は焼失してしまいましたが、まもなく源頼朝が施主になって再興し、貴重な寺宝を現代に数多く伝えられることとなりました。

境内には、国宝指定の本堂(曼荼羅堂)・東塔・西塔、国の重要文化財指定の金堂・講堂はじめ、大師堂・薬師堂・仁王門・鐘楼などが、独自の伽藍配置で立ち並び、金堂の弥勒仏坐像(国宝)、四天王像(重文)をはじめとして、多くの貴重な文化財を伝えています。また塔頭寺院も13を数え、倶利伽藍龍蒔絵経箱(国宝)、中之坊庭園(名勝・史跡)など、それぞれに貴重な寺宝を数多く伝えています。
=== 葛城市ホームページより ===

撮影日:2022年7月22日

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