日本語訳あり【中田英寿のイタリア語】戦友バティストゥータと再会、1998年フランスW杯、引退後について語る、2018年7月、Hidetoshi Nakata、Gabriel Batistuta

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イタリア・セリエAに移籍してから20年という節目の年を迎えた中田英寿氏が当時在籍していたローマを訪れ、チームメイトであった元アルゼンチン代表のガブリエル・バティストゥータ氏と再会、1998年フランスワールドカップの初戦アルゼンチン戦、引退後について語った。

 バティストゥータ氏は初めて日本と対戦した試合について「あの試合の前日、捻挫してしまったんだ。厳しい試合だったけど、勝つことができて良かった」と、思い出をコメント。中田氏も「何と言っても98年だよね。僕もはじめての出場だったし。対アルゼンチン戦で君はゴールを決めて僕たちは黒星。一生忘れることはないよ、あの試合は。僕にとっても日本にとってもはじめての経験で、あそこから歴史が始まったんだ。だからいつまでも君はその思い出に残っていて感じ悪いまま印象に残っている」と冗談とともにバティストゥータ氏の印象を語った。
 また現役引退後、アルゼンチンに戻り牧場の経営者となったバティストゥータ氏が「次のプロジェクトは僕が住んでいる街で子どもたちのためにスポーツ施設を作ることだ」と話すと、日本文化を学ぶために約7年をかけて日本国内を旅した中田氏は「僕も農家や酒蔵、職人、お寺などを訪ね、今では彼らと仕事をしています。彼らと仕事をしたり、話をすることは本当に素敵なことだと思う」と話すなど、両氏が新たなチャレンジについて語っている。


ガブリエル・オマール・バティストゥータ (Gabriel Omar Batistuta, 1969年2月1日 - ) は、アルゼンチン・サンタフェ出身の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。1990年代を代表するフォワードの一人で、長くイタリア・セリエAで活躍し、セリエAの外国人最多通算得点記録を保持している。またアルゼンチン代表にも選抜され、歴代2位の得点記録保持者である。2005年に引退した。ニックネームは獅子王、バティ、バティゴル(バティゴール)。家族は妻と4男。サッカー界から引退後は、アドルフォ・カンビアッソのもとでポロを学んでおり、プロ選手として試合にも出場している。


<所属クラブ>
1988-1989 ニューウェルズ 16 (4)
1989-1990 リーベル・プレート 7 (4)
1990-1991 ボカ・ジュニアーズ 29 (13)
1991-2000 フィオレンティーナ 269 (168)
2000-2003 ローマ 63 (30)
2003 →インテル (loan) 12 (2)
2003-2005 アル・アラビ 21 (25)
通算 386試合出場  (246得点)

<代表歴>
1991-2002 アルゼンチン 77 (54)

※国内リーグ戦に限る。
※チーム名の横の数字は出場試合数、()は得点数