【注目ニュース】【飯塚事件】「最後の目撃者」が証言を翻した理由 「見たのは別の日」が意味するものは 福岡

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32年前、福岡県飯塚市の小学生の女の子2人が殺害された「飯塚事件」です。犯人として死刑が執行された元死刑囚の裁判のやり直しをめぐる協議で、弁護団は15日、女の子を最後に目撃したとされる女性が当時の証言を翻し「目撃したのは別の日だ」と話している事を明らかにしました。女性が証言を翻した理由、そしてそれは何を意味するのでしょうか。

久間三千年(くま・みちとし)元死刑囚は1992年2月、福岡県飯塚市の小学生の女の子2人を殺害したなどとして死刑判決を受けました。

久間氏は一貫して無実を主張しましたが、2008年10月死刑は執行されました。

しかし15日、その判決の根拠を揺るがすある証言が明らかにされました。

飯塚事件の裁判のやり直しを求めている弁護団が明らかにしたのは、32年前の事件当日、女の子2人を最後に目撃したとされる女性の証言です。

■德田靖之弁護士
「(当時)供述調書に書かれた内容は自分の記憶とは違う。自分は事件があった日に子どもたちを見たのではない。それを、その日に見たという供述調書にさせられてしまった。そういう趣旨の証言をされた訳です。」

判決によりますと、証言した女性は事件当日の1992年2月20日午前8時30分ごろ、車で通勤途中、飯塚市の住宅街の三差路で登校していた女の子2人を目撃したとされます。

しかし女性は当時、繰り返し訂正を求めたということです。

■德田弁護士
「何度もその日ではないと言ったけれども、聞いてもらえなかったと。」

■岩田務弁護士
「私はここから見ましたと言ったら(警察は)あなたはここ(別の場所)にいたんです。他の人の話と合わないからとか、あなたがこう言ったら全体が崩れるんですとか、そういう話でずっと押切られた。」

女性はなぜ証言するに至ったのでしょうか。弁護団によりますと2018年4月、女性から德田弁護士の事務所に電話があったということです。

■德田弁護士
「(女性は)最初から自分の記憶と違う調書が作られたことをずっと不本意だと思って気にしていた。その上で久間さんが死刑判決を受け、死刑が執行されたという報道を知って、自分が曖昧な供述をしたことが久間さんを死刑にしたのではないかという、自分を責める思いが高まった。弁護士たちが久間さんは無実だと争っていると知ったときに、自分がこのまま黙っていていいのかという思いになったという彼女の説明は、私たちなりには理解ができると思っています。」

では、女性が当時の目撃証言を翻したことはどのような意味を持つのでしょうか。

判決は女性の証言などをもとに、三差路付近を女の子が失踪した現場と特定しています。同じ頃、久間氏の車によく似た紺色のワゴン車が目撃され、女の子の遺留品が見つかった別の現場でも同じ特徴の車が目撃されたことから、この紺色ワゴン車が犯行に使われた疑いが濃厚と指摘しました。

しかし、女性の新たな証言はその筋書きを覆すと弁護団は指摘します。

■德田弁護士
「誘拐場所が違ってくる。三差路だと判決は言っていたが、どこで誘拐されたのかは分からない訳です。誘拐された時間が8時半ごろといってましたが、これも分からない。そうすると、時間も誘拐された場所も分からなくなってしまう。三差路を通った紺色ワゴン車が事件と関係しているかどうかは、全く分からなくなってしまう。」

一方、検察は「自分のせいで久間氏が死刑になったという思い込みで、当時の証言を否定せざるを得ない心境になったもので信用できない」などと反論したということです。

裁判のやりなおしをめぐる三者協議は15日で終了しました。果たして、死刑執行は正しかったのか。裁判のやりなおしを始めるか始めないかについて、裁判長は4月以降に決定を出すと弁護団に伝えたということです。


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