城彰二の全て ゴール集 プレー集 空港で水かけ事件 誇り高きスペイン先駆者 Jo History ハイライト 中田英寿 バリャドリード ジェフ千葉 横浜F・マリノス 横浜FC エース

2021/08/22 に公開
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城彰二 サッカー ダイジェスト Football highlight

Shoji Jyo
Japanese Footballer

北海道生まれ、鹿児島県育ち。鹿児島実業高校。ヘディングが高くボレーや抜け出し、ポストも上手い世界標準の万能型フォワードだった。

1994年1月、高校3年時の高校サッカー選手権大会第72回大会でベスト4に勝ち上がった。
上に前園真聖、同期に遠藤彰弘がいた。川口能活がいた清水商業に敗れた。

1994年 高校卒業後、ジェフユナイテッド市原に入団。開幕から4試合連続ゴールを決めた。
同年のアシックスサッカーのガーナ戦でファルカン監督に日本代表招集されたが出番はなかった。

1995年、アトランタオリンピックのアジア1次予選に招集された。小倉隆史の怪我によりFWのエースとしてチームを引っ張った。前園真聖、川口能活、松田直樹などレベルの高いメンバーが揃った。

同年のデサントアディダスマッチのパラグアイ戦で日本代表デビューした。

1996年にアトランタ五輪のアジア最終予選に招集された。中田英寿の招集と前園真聖の活躍もあり、サウジアラビアなど強豪を倒した。決勝の韓国戦で城が美しいオーバーヘッドを決めた。

1996年アトランタ五輪ではロナウド、ベベット、リバウド、ロベカル、アウダイール、フラビオコンセイソンなどスター軍団のブラジルを倒した。中田英寿と前園と城の3人が揃った攻撃陣は脅威だったに違いない。マイアミの奇跡と言われた。

1997年に横浜マリノスに移籍。得点を量産した。

同年にワールドカップフランス大会のアジア1次予選、最終予選が行われた、加茂監督により招集された。
三浦知良、呂比須ワグナー、中山雅史らとスタメンを争った。
第3代表決定戦のイラン戦では後半途中から出場してゴールを決めた。
延長戦で脳震盪を起こしてしまうが、死んでもいいと思ってプレーしていたと語っている。最後は岡野雅行のVゴールでジョホールバルの歓喜となった。

1998年ワールドカップフランス大会では、足の怪我などもあり活躍ができなかった。ガムを噛むシーンや笑顔のシーンが批判された。アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカ相手にゴールを決めることが出来なかった。
帰国後、
23:08 空港で水をかけられる事件が発生した。
三浦知良から引き継いだ日本のエースの重圧、重さを知った。

トルシエジャパンになっても招集が続いた。
2000年にスペイン1部リーグのレアル・バリャドリードに移籍した。ヌマンシア戦でデビュー、オビエド戦で2ゴールをあげた。レアルマドリード戦やフィーゴやクライファートなど擁するバルセロナ戦に出場するなど活躍した。プジョルは明らかに手を焼いていた。
日本人で最初にリーガデビュー、得点、そして聖地カンプ・ノウに立った男である。
同年に行われたキリンビバレッジの中国戦にローマの中田、ヴェネツィアの名波と一緒に凱旋帰国。この試合で左膝の前十字靭帯断裂の大怪我をした。

横浜Fマリノスに復帰したが不調に陥った。
ハッサン2世国王杯で2ゴールををあげた。

2001年のサンドニで行われたフランスとの親善試合が日本代表最後の試合となった。

2002年にヴィッセル神戸に移籍。
2003年にJ2の横浜FCに移籍。カズとツートップを組み、2006年のJ1昇格に貢献した。
その年のシーズン終了後現役引退した。

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