【合戦逸話】小牧・長久手の戦い[完結編] 羽柴 vs 徳川 〜 織田信雄と羽柴秀吉との間で和議が成立したことで 徳川家康とも講和となっていたが… 〜

2022/08/12 に公開
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時は安土桃山時代

天正12年(1584年)3月
織田家当主 織田信雄を蔑ろに 政を牛耳る羽柴秀吉をなんとかしようと、隣国の徳川家康を味方に付け 挙兵し始まった『小牧・長久手の戦い』であったが、その年の11月 黒田官兵衛の謀により 総大将 織田信雄は家康に相談なく 独断で秀吉との講和を結んでしまう。
これにより戦う大義名分を失った家康もまた 秀吉との講和に応じざるを得なくなり 両軍は尾張から兵を引きあげることとなった。
しかし この講和は両家にとってむしろ願っていたことであった。
徳川家康は 度重なる大雨と尾張への遠征で遠江や駿河 そして信濃の各地で土一揆が発生し、戦に銭を使っている状況ではなく、更に北信濃の豪族 真田昌幸が 徳川から上杉へ鞍替えしたことで 北への対応にも迫られていた。
片や 羽柴秀吉も 紀州の根来衆や雑賀衆との小競り合いは続き、四国では 長宗我部元親が四国統一間近にまで勢力を拡大。そこに越中国 佐々成政の挙兵も加わり 兵を分散して対応しなければならない状況であった。

秀吉の動きは速かった。

翌年の 天正13年(1585年)2月
秀吉は 毛利軍と連合し 約10万の紀州討伐軍を派兵し 3ヶ月の速さで根来衆や雑賀衆をねじ伏せると、その勢いをもって 5月からは 四国征伐に取り掛かる。
こちらもおよそ3ヶ月におよぶ猛攻により 長宗我部元親は秀吉に降伏し 四国を平定。
同時に公卿への働きも強め 帝から関白の宣旨がくだるなど、秀吉の時代が着々と近づいていた。

一方 浜松城に戻った徳川家康は 荒れた領土内の回復を推し進めると同時に、越後の上杉に寝返った真田昌幸を討伐すべく 重臣 鳥居元忠 や 大久保忠世ら 兵7000を上田城へ派兵するも、真田昌幸の謀略にはまり 惨敗。

越中 富山城の佐々成政討伐最中の陣中にて、苦悩する徳川方の状況を聞いた秀吉は いよいよ 家康との決戦に舵を切った…


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※スポンサー様のPR含めた内容となりますので 合戦に関わる箇所は全て創作となります
※個人制作となりますので誤字脱字等ありますことご了承ください
※通説に基づきつつも一部ユキムラ流に脚色を加えた合戦解説となります
※合戦や物語の出来事は諸説あります
※制作の都合上全ての情報や登場武将を網羅してはおりません
※登場人物名は改称時期に拘らずわかり易い表記で記載しております
※演出時に大きな音が出る場合があります
※2022年時点での歴史資料を元に作成しております

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