離れた瀬戸内で超繁栄した島/海界 瀬戸内海 岡村島(愛媛県) 大崎下島(広島県)

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An island that flourished in a remote part of the Seto Inland Sea /Walk around the island village Seto Inland Sea Okamurajima (Ehime Prefecture) Osaki Shimojima (Hiroshima Prefecture)

大崎下島
広島県竹原市の南20kmの瀬戸内海中央部に位置する。標高449mの一峰寺山を中心に、地形は急峻だが、明治中期頃からその急な斜面を徹底してミカン畑としたことで太陽の光を十二分に浴びさせており、名高い大長ミカンの地位を手にした。最盛期には2市10町村(当時)におよぶ島外のミカン出作地もあった。さらに平成21年には大長レモンを商標登録。広島県のレモン生産量の約40%を占める。島東部の御手洗地区は江戸時代から近代にかけて有数の商港として栄え、その歴史的な町並みは平成6年に重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
西部の旧豊浜町域ではイカナゴを捕食するアビ鳥を利用した「アビ漁」が盛んだったが、現在ではアビの渡来も少なくなり、昭和61年にはアビ漁を行う人はいなくなった。島の東部から中央部にかけてが豊町域、南西部が豊浜町域だったが、ともに平成17年3月に呉市に編入された。また、架橋により下蒲刈島から今治市岡村島までが本土と陸続きの「安芸灘とびしま海道」となっており、近年はサイクリングなどで訪れる人が増えている。
岡村島
愛媛県の最北西端、芸予諸島のほぼ中央に位置する島。今治へ17km、広島へ37kmの距離にある。古くから斎灘の交通の要衝にあたり、古くは平安時代から空海や菅原道真などが立ち寄っている。戦国期には村上水軍の城砦が築かれていた。江戸時代中期には隣島大崎下島の御手洗港とともに潮待ち港として栄え、元文5年(1740)には島南端の観音崎に灯明台が置かれている。明治の中頃から柑橘栽培が始まり、大正期にはミカンの島として名を知られるようになった。その後も「ミカンと魚の島」として発展をつづけ、ミカン狩り、ハイキングと四季のレクリエーションに最適な瀬戸内海国立公園の景勝地となっている。平成元年に珍蝶のクロツバメシジミが発見されたことから、「蝶の島」として蝶のサンクチュアリをつくろうという動きもある。平成20年、岡村島と広島県呉市の陸地部までを7つの橋で結ぶ安芸灘とびしま海道が全通し、本土と陸続きとなった。サイクリングで島を訪れる観光客も増えている。(「シマダス」参照)

Database 御手洗
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/hiroshima_data/mitarai/mitarai_file.htm
Database 大長
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/hiroshima_data/ocho/ocho_file.htm
集落町並みWalker
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/hyoshi/index.htm