【湯沸かし日記】宝鉄堂 及川鉄作 釜肌鉄瓶 2020年11月7日 日記から

2024/05/07 に公開
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鉄瓶でお湯を沸かすことに興味を持って四ヶ月。
そのなかで鉄瓶のことを調べているうちに南部鉄器は、大きく分けて江戸時代に南部藩の保護のもとに茶釜等の生産から発達した「茶の湯」の芸術系統ものと伊達藩の保護のもとに主に日用品の生産から発達したものが、様々な経緯で合流して南部鉄器として今に続いているということが分かった。
ぼくが鉄瓶で沸かしたお湯を使おうと一番最初に買い求めたのは近くのリサイクルショップで「日新堂千田作」と銘が入った鉄瓶。
銘が入っているのでどこで誰が作ったのだろうと調べてみるとこの鉄瓶は今で言うと奥州市水沢の職人が作ったものということがわかった。
そして二個目のモダン鉄瓶を調べると山形系のものらしい、
三個目は、盛岡の加賀野一丁目で作られたもので、富士見橋近くでそこに行って見たら今は更地になっていた。
それぞれ鉄瓶の由来を調べたり、更には錆止めの実験したりしているうちに四ヶ月たった今では6個になってしまった。
・・・一人で鉄瓶が6個って、これでもういいかなと、思おうとしていた。
しかし、Yahoo!のオークションのニュースレターに湯釜を思わせるような立派な鉄瓶が掲載され、ちょっと見惚れてしまった。
たぶんすぐに追い越されて落札はできないだろうなと思いながらもとりあえず入札した。

翌朝結果を確認したら、ぼくの入札額ギリギリでそれが落札されてしまった。
(これはいいなと思った小泉仁左衛門釜や鈴木盛久などの作品では全て撃沈しているので全然期待していなかったのでこんな書き方になってしまった)

この鉄瓶の出品説明には「宝鉄堂 釜師 及川鉄作」とあったが、鉄瓶が届いてからネットで調べたら、水沢の1975年に伝統工芸士に認定された及川鉄氏の作品だった。
堂々とした立派な空気、実物を見てもやっぱり好き。

余談ながら水沢系のものは、ネット上にあった東海大学の高木俊之先生の論文「鋳物職人の同族的系譜関係 - 岩手県奥州市における水沢鋳物の事例 - 」によると、水沢の鉄瓶製作は、継承がおおらかというか家伝直系に拘らず伝承されることが多かったようで、職人がよその作業場をわりと自由にのぞくことができたそうだ。
その点、南部藩系は継承方法が直系がメインストリームで、例えば小泉仁左衛門釜(御釜屋)、鈴木系(盛久)や有坂系、鈴木系(主善堂)などユニークな技を伝承し、そしてその代が過去と向き合いながら独自の試みをしながらブランドが確立していった。
したがってこういったブランドが確立した鉄瓶は分かりやすく、オークションでぼくがいくら好きだとよって応札しても毎回成立しない。

閉話休題
この鉄瓶は、水沢の及川鉄という職人さんの作品。
先の東海大学の高木俊之先生の論文によると及川鉄氏という職人は、明治11年(1911年)生まれで1954年に宝鉄堂鉄瓶工業を創業され昭和50年(1975年)に伝統工芸士になられた方。
この方の鉄瓶がやってきた。

使用音楽:Correle Carna - Cumbia Deli (YouTube オーディオ ライブラリから)
使用音楽:Park Bench ジングル(iMoveライブラリから)
使用機器:Nikon D40、D70
使用機器:iPhone 13 Pro,iPhone 14 Pro 、14インチMacBook Pro M3、iMovie