「よく助かった、速いんだね津波というのは」間一髪高台に逃げたバスの運転手が初めて語った“あの日”とは

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2011年3月11日、東日本大震災の津波から逃げ遅れ犠牲になった人が大勢いた一方で、奇跡的に助かった命も多くあります。tbcのカメラには、宮城県南三陸町で、1台のバスが間一髪で高台に逃れた瞬間が収められていました。

初めて“あの日”を語ってくれた元運転手の男性

バスの元運転手 佐藤久典さん:
「こっちの方から波来たんだね。バスはこの辺、この辺に止まっていた」あの日、バスを運転していた佐藤久典さん(76)です。これまでメディアからの取材を断り続けてきましたが、12年が経過し初めて応じてくれました。バスの元運転手 佐藤久典さん:
「来たぞって声が聞こえて、見たら津波が来ていた」南三陸町の志津川中学校のある高台のふもとに止まっていたバス。バスには、佐藤さん以外乗っていませんでしたが、寸前に津波に気付き窮地を逃れました。佐藤久典さん:
「パニックになっていた」現在は、町内の復興住宅で妻のさえ子さんと暮らす佐藤さん。あの日、さえ子さんは外出中で、佐藤さんは町の中心部にあった自宅で一人で過ごしていました。佐藤久典さん:
「(揺れた後)さっぱり津波が来そうにないから、車を持って来ようかなと思ってバスをね、で行ったんですよ」当時の南三陸町です。スクールバスの運転手として働いていた佐藤さん。大きな揺れのあと、「津波からバスを守ろうと思い」町内の営業所に行きます。バスに乗った佐藤さんは、国道45号線を北上。高台にあり震災後、対策本部が置かれたベイサイドアリーナへと向かいました。しかし…。

渋滞に巻き込まれたバス

佐藤久典さん:
「向こうでも(車が)つっかえていたし、途中でUターンして町内に戻ってきたんです。それで、小学校に入ったんですよ、入ったけど車が渋滞していてダメだと思ってUターンして橋を渡って」佐藤さんは、ベイサイドアリーナへ行くのを諦め志津川小学校へと向かいますが、再び渋滞に巻き込まれました。地震発生後にtbcが撮影していた映像です。1台の白いバスが橋を渡っています。渋滞を避け、海抜の低い町内へと引き返してきた佐藤さんのバスです。その奥にはすでに川をさかのぼる津波がみえます。佐藤久典さん:
「もう来てるんだね、来てんだっちゃ。もう無我夢中だったね。後ろからワゴン車走ってきたね。それも分からなかったな」佐藤さんは、海から3キロほど離れた志津川中のある高台のふもとに到着。バスを止めて、一息ついたその時でした。

その時、冷静な判断ができなくなる

津波が襲ってきました。あと1秒でもバスを出すのが遅かったら…。佐藤久典さん:
「私もよく助かった。速いんだね津波というのは本当に。もうダメかなと思ったら後ろのバンパーにぶつかって寄せられた」その後、安全な志津川中にたどり着くことはできましたが、すぐには状況を理解できなかったといいます。佐藤久典さん:
「ハンドルにすがってそのまま状態だよ、落ち着くまでね」佐藤さんは、バスを降り、変わり果てた町の姿を目にします。佐藤久典さん:
「志津川ではないように見えたね。家があそこにあったことだけは思い出すね」地震発生から津波到達まではおよそ1時間。渋滞ですぐに避難ができなかった佐藤さん。思いもよらなかった事態に直面し、冷静な判断が出来なくなっていったと振り返ります。佐藤久典さん:
「もうパニック状態になってしまって頭の中、ダメなんだな何とも言われないね。何があったか今は分かるんだけど」

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