【QBK】あなたはまだ本当の柳沢敦を知らない~覚醒の時~【ガチ神注意】伝説のスーパープレー、スーパーゴール

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柳沢の伝説、スーパープレー、スーパーゴール
【QBK】伝説のストライカー柳沢敦を知っているか【ヘナギサイクロン、YYY】
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柳沢というとやらかしプレーの印象が強いが
彼を天才たらしめるのは
時々ガチですごいプレーをしてしまうところだ。
今回は柳沢敦が覚醒したシーンを紹介していこう。
天才はパラグアイの名手チラベルト相手に大暴れしている。
2試合で5得点も決めているのだ。

2001年、日本対パラグアイ
小野からの絶妙なロングパスに抜け出した柳沢。
後ろから来たボールを左足でダイレクトで流し込む。
飛び出し、身体の入れ方、シュートの精度、
どれをとっても完璧なゴールだ。

柳沢の勢いはまだまだ止まらない。
またも小野からの絶妙なスルーパスを受け取り、
落ち着いてトラップし、ゴール。
注目していただきたいのはシュートよりもその前の動きである。
小野にボールが渡る前からすでに動き出している。
この時すでに柳沢はスペースを見つけ、
パスコース、ゴールまでの道筋が見えているのだ。
柳沢の天才的なポジショニングがわかるシーンだ。

チラベルトから2得点を奪い、
試合結果は2ー0で日本の勝利。
この試合全てのゴールを叩き出したのだ。

もちろんこれだけでは終わらないのが柳沢である。
それは1998年JOMOカップでの出来事。
Jリーグ日本選手選抜対リーグ外国籍選手選抜
の試合だ。
相手ゴールキーパーはゲストのチラベルト。

見事な連携からダイレクトで流し込む柳沢。
アウトサイドにかけた見事なシュートでサイドネットを揺らした。
柳沢は本当にアウトサイドのシュートが得意だ。
そして、誰よりも早く動き出しているのが柳沢だ。
彼がシュートまでのスペースを見つけた時
DFは意味をなさなくなる。

2点目を見ていこう。
味方からヘディングのパス。
これをダイレクトでお手本のようなニア上にぶち抜く柳沢。
後ろから相手DFが来ていたが、パスが少し大きいとわかると
すぐに方向を変え、DFがついていけていないのがわかる。
柳沢の俊敏性がなし得る方向転換だ。

そして3点目。

ニアに走り出した柳沢、クロスを見事にヘディング。
ボールはポストを叩いた後ネットを揺らした。
クロスが上る前、DFはファーを警戒している。
そのすきにニアに走り込む柳沢。
この動きはDFを引き付ける動きでもあり、
ファーサイドにいる味方をフリーにしているのだ。
一つのプレーでニア、ファー
どちらにクロスを入れてもチャンス
という状況を生み出しているのだ。

これらだけで柳沢の天才的なポジショニング能力、
飛び出しの上手さがわかっただろう。
同年代に活躍していた世界的ストライカー、
フィリポ・インザーギを彷彿とさせる才能だ。

柳沢の日本代表通算得点数は歴代13位の17得点、
Jリーグでは引退した2014年時点で歴代10位、
日本人6位となる通算108得点を記録している。
決して得点力の低い選手ではないのだ。

しかし、柳沢のすごいところは
自分のゴールだけで満足しないところだ。
常にチームの勝利を考え、ゴールへのお膳立て、
チャンスメイクをしているのだ。

2006年、日本対ドイツの親善試合。
強豪相手に2-2の引き分けとなった歴史的な一戦だ。
1点目、芸術的なパスワークから高原が豪快にゴール。
このゴールは、俊輔の見事なボールキープ
中田のスルー、高原のシュートにばかり目が行きがちだが
柳沢の天才的なプレーによってもたらされていたことをご存知だろうか。

クリアボールを俊輔に渡したのは柳沢である。
ダイビングヘッドでダイレクトに素晴らしいパスを送る柳沢。
精度もさることながら、これがトラップして足でパスを出していたら
俊輔はDFに詰められていいただろう。
天才的な判断と献身性である。
そして、注目していただきたいのはこの後である。
ダイビングヘッドから起き上がるとすぐに走り出す柳沢。
高原とは逆の方向に走っている。
柳沢の元へ集まるDF。
そして、迷うことなくダイレクトで高原にパス。
このDFを引き付ける動きがあったからこそ
高原がドフリーでボールを受けるという状況が生まれたのだ。
そして、あざ笑うかのようにDFの頭上を通すパス。
これにはドイツDFもお手上げである。
パスの精度も高い。
ジャストで高原にボールを届けている。
起点、アシスト、オフザボールの動き。
実質柳沢のゴールと言ってもいいゴールである。
かつて柳沢が言った
「点を取ることだけがFWの仕事じゃない」
という言葉を体現したプレーだ。

引退後、柳沢と試合をした福田正博が
「柳沢と引退後に初めてプレーしたが恐ろしいFWだ。
同じチームでプレーしていたら僕は倍の得点を取れた」
と語っていたが
まさに味方を活かす天才なのだ。
同年代に活躍していた献身的で周りを活かすスペインのFW、
ラウール・ゴンサレスを彷彿とさせる才能だ。

よく柳沢はシュートへの消極性を批判されることがある。
岡田監督からはゴールへの執着心に欠ける点を指摘され、
フランスW杯の最終メンバーからは外され、
トルシエ監督からは、途中出場したものの、
絶好の決定機にシュートしないなど、
消極的なプレーからわずか7分で交代させられたこともあった。

しかし、それでもトルシエもジーコも柳沢を使い続けたのは
こういった天才的なオフザボールの能力があったからなのである。

柳沢の才能は幼少期の頃から開花している。
中学時代にはU-15日本代表に選出され、
高校卒業時には13ものJリーグチームから声がかかっている。

1999年には、U-23代表のエースとして期待され使われていたいたが
一時期代表に呼ばれなくなった時期がある。
これは予選最中にチームを無断で抜け出して、
某モデルと密会していたからであり
決して実力で呼ばれなくなったわけではないのだ。


柳沢といえば後ろから来たボールの扱いが天才的に上手い。
1997年、柳沢率いる鹿島アントラーズ対柏レイソル
ハーフウェーラインから飛んできたロングパスに抜け出した柳沢
後ろから頭上を超えてきたボールを吸い付くようなトラップ
やや内側にコントロールしシュートコースを作ると
アウトサイドで流し込んだ。
飛び出し技術もさることながら、この神がかったボールコントロール。
同年代に活躍していた天才的なボールタッチのFW、
デニス・ベルカンプを彷彿とさせる才能だ。

京都サンガ対横浜FCでも天才的なゴールを見せた。
ファールの後、ボールを置いて
一人すごいスピードで走り出す柳沢。
FKからクイックスタートだ。
後ろからふんわりとしたボールを受けると
なんとダイレクトで決めたのである。
ボールを持ちながらチラリと後ろを確認する柳沢
この時、すでに天才にはゴールへの道筋が見えていた。
スペースに向かって走り出す。
相手DFは柳沢の前では一秒たりとも気を抜いてはいけない。
そして、足元でバウンドしたボールをダイレクトでシュート。
後ろから浮いたボールを受けるという時点で難易度が高いにもかかわらず
バウントしたボールを倒れ込みながら合わせたのである。

同年代に活躍していたイタリアのファンタジスタ
ロベルト・バッジョは言った。
「思いついたプレーの中で、
いつも一番むずかしいものを選択している」
ロベルト・バッジョを彷彿とさせる才能だ。

このプレーは
急に ボールを 置いて走り出す
QBOと名付けられた。

そして、お待ちかね
柳沢のスーパーゴールといえば
2001年、日本対イタリアで生まれた伝説のゴールである。
当時のイタリアのメンバーは、GKブッフォン、DFネスタ、カンナバーロ
FWインザーギ、デルピエーロ、トッティ
など、歴代でも最強クラスであり来年のワールドカップ優勝候補で、
特にカテナチオと呼ばれたディフェンスは世界一だった。
この試合は、日本のファンですら日本の完敗を予想していただろう。

しかし、そんな予想を覆してみせたのがこの男、
柳沢敦である。

ボールを奪った稲本がゴール前にロングパス。
これを柳沢がダイレクトでジャンピングボレー。
見事世界一のカテナチオをこじ開けたのだ。
稲本がボールを取る前、すでに柳沢は動き始めている。
そして斜め後ろから来たボールをジャンプしながら
ダイレクトでアウトサイドにミート。
ドライブ回転がかかったボールは
名手ブッフォンの頭上を抜けゴールへと吸い込まれていった。
紛れもないスーパーゴールである。

このミラクルショットに日本中のサッカーファン
いや全国民が歓喜。
イタリア人は『極東にこんな天才がいるのか』
と驚愕。
日本のファンは来年、日本で開催される
ワールドカップ優勝の夢を柳沢に託したのだ。

インザーギのような飛び出しとポジショニング、
ラウールのようなオフザボールの動き、
ベルカンプのようなボールタッチ、
バッジョのような創造性、
グァルディオラのような戦術理解度
柳沢は全てを兼ね備えた未来形マルチストライカーなのだ。

そして、柳沢を語る上で
一流のプレヤーであると同時に
一流の人格者であることについても
触れなければならない。

2011年、柳沢はベガルタ仙台に移籍した。
そしてまもなく、大震災が東日本を襲う。
未曾有の危機に到底サッカーができる状況ではなく
クラブ活動も目処が立たずにいた。
そんな中、柳沢は何か自分にできることはないか
と考え、市役所に電話をかけ自らボランティア活動に参加したのだ。
スター直接の手伝いに被災者は勇気づけられたことだろう。
柳沢はボランティア中、
「どう動けば一番役に立てるのか、バランスが本当に難しい。」
と考えていたという。
常に周りを見る柳沢らしい考えである。
そして、避難所の子どもたちにサッカー教室をやってほしい
と頼まれ、前日の夜にしっかりと練習メニューを考えたのである。

柳沢の真面目さと優しさが見えるエピソードである。


現役引退している柳沢だが、
日本国民はまた柳沢にワールドカップ優勝の夢を
託すことはできないのか。
いや、そんなことはない。
柳沢が日本代表監督になればいいのだ。
柳沢JAPANの誕生である。

柳沢は引退後、2018年まで鹿島アントラーズのコーチをしており
2019年からはユースチームのコーチ、現在は監督をしている。
2018年に一度辞めているのは
チーム遠征から無断で抜け出し、
知人の女性との密会現場を週刊誌にスクープ
されたからであり、実力でクビになったわけではないのだ。
”急に、美女が、来たので”
ゴール前に抜け出すのが得意なQBK柳沢としては
抜け出さないわけにはいかないのだ。

チームに対する献身性、戦術理解度
監督に必要なものを兼ね備えている柳沢。

”急に、僕が、監督に”
柳沢ならきっと新たなQBKで
僕らに夢を見させてくれるはずだ。

#柳沢敦 #QBK