柳沢敦の全て サッカー人生ダイジェスト 全プレー集 超万能型ストライカー 全ての技術が一級品 ゴール集 プレー集 ダイジェスト Yanagisawa Goals QBK

2022/01/22 に公開
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サッカー ダイジェスト Football highlight

1995年、富山第一高等学校の高校3年時に第74回全国高校サッカー選手権大会に出場。
3回戦で強豪静岡学園と戦い、PK戦の末敗れた。

1996年にU-22アトランタ大会五輪アジア最終予選のメンバーに選出された。
前園真聖や中田英寿、城彰二らの世代で、試合に出場することは無かった。

1996年にU-19 AFCアジアユース選手権 韓国大会に出場した。
1996年に鹿島アントラーズに入団した。
レオナルドが退団と同時に入団した。ジェフ千葉戦でJリーグデビューした。
ガンバ大阪戦でJリーグ初ゴールを決めた。初ゴールから4試合連続ゴールを決めた。

鹿島アントラーズは、長谷川、黒崎、平瀬、マジーニョ、ベベットなどFWの人材が豊富で、競争のレベルが高かった。

1997年にU-20 FIFAワールドユース選手権 マレーシア大会に招集された。
初戦のスペイン戦でPKキッカーを務め、ゴールを決めた。
第3戦のパラグアイ戦でもゴールを決めた。
準々決勝のガーナ戦でも俊輔からのクロスに合わせて、4点目を決めた。試合はVゴールを決められて敗戦だった。

1998年の日本代表のオーストラリア遠征でA代表デビュー。岡田武史監督に招集された。
1998年の日韓ワールドカップ共同開催記念試合でも招集された。
ゴールへの執着が足りないと指摘され、フランスワールドカップのメンバーには入れなかった。
JOMO CUPに日本人選抜で参加。パラグアイの英雄チラベルトからハットトリックを決めた。
京都パープルサンガ戦で4ゴール、ジュビロ磐田戦でハットトリックを決めた。

1999年にシドニーオリンピック アジア1次予選香港ラウンドに参加した。
日本(東京)ラウンドで2ゴールを決めた。
チームに黙って宿泊先を抜け出し、彼女と会っていたことが発覚。五輪代表から追放されてしまった。

小野伸二、稲本潤一、高原直泰、本山雅志、酒井友之、遠藤保仁ら黄金世代に中村俊輔、中田英寿、平瀬智行、宮本恒靖らが加わり史上最強チームと言われた。

1999年のシドニーオリンピック 最終予選壮行試合で復活したものの、その試合で退場処分になり、最終予選はメンバーから漏れた。

鹿島アントラーズは、ベベット、マジーニョ、平瀬、長谷川祥之などライバルが多かった。
2000年に三冠を達成した。

2000年にモロッコのカサブランカで行われたハッサン2世国王杯 ジャマイカ戦でA代表の初ゴールをあげた。
この試合は中田英のパスからカズもゴールを決めた。

2000年のキリンカップ スロバキア戦でゴールに向かう姿勢を示した。
続くボリビア戦でスタメンを獲得。2ゴールあげた。

2000年にU-23オリンピック シドニー大会が行われ参加した。
南アフリカ、スロバキア、ブラジル戦に出場した。準決勝のアメリカ戦でゴールを決めた。
アメリカにPKの末敗れた。

2000年にAFCアジアカップ レバノン大会に参加した。
初戦スタメンで1ゴール上げるもそれ以降は出番なし。決勝途中から出場するも、
消極的なプレーを披露してしまい、わずか8分で交代させられてしまった。

2000年にキリンビバレッジ 韓国戦にフル出場した。
PKを蹴ったが韓国キーパーに止められた。

2001年のキリンカップ パラグアイ戦でチラベルトから2ゴール決めた。
小野伸二のパスが光った。

2001年ナイジェリア戦に出場し、1ゴール決めた。
2001年親善試合イタリア戦で稲本からのパスに右足アウトサイドでボレーを決めた。
スーパーゴールだった。

2002年に日韓ワールドカップに出場した。
ベルギー戦、ロシア戦、チュニジア戦でスタメンを獲得した。ベスト16でトルコに敗れた。

2003年にキリンチャレンジカップのセネガル戦で中田英寿からの絶好球を真上にシュートしてしまった。
サイクロンと言われ揶揄された。
2003年の国際親善試合のチュニジア戦とルーマニア戦でゴールした。

2003年に、イタリアセリエAのサンプドリアに移籍した。FWをやらせてもらえず、サイドMFでの出場が多かった。
翌年はメッシーナに移籍した。

ドイツワールドカップのアジア1次予選、初戦のオマーン戦に出場するも活躍できず。
代わりに入った久保竜彦がブレイクした。

2005年に行われたコンフェデレーションズカップの初戦のメキシコ戦でゴールした。
ギリシャに勝ち、ブラジルに引き分けるなど善戦した。
2005年のキリンチャレンジカップのホンジェラス戦で2ゴールあげた。

2006年にワールドカップ直前のドイツとの親善試合で高原へのアシストを決めた。
ユニフォームを破られてイエローカードが出てしまうハプニングがあった。

2006年ドイツワールドカップでは、クロアチア戦で決定機を外し、「急にボールが来たので」と発言。QBKと揶揄された。

鹿島アントラーズから、京都サンガ、ベガルタ仙台に移籍し、その後引退した。

引退試合で中山雅史から、クロアチア戦のシュートは間違ってなかったという言葉があった。

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