ラモス瑠偉の全て サッカー人生ダイジェスト 全プレー集 伝説の10番 司令塔 ゴール集 Ramos Ruy ドーハの悲劇 キレる ループ 三浦知良 ヴェルディ 読売 日本代表

2021/06/05 に公開
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サンパウロのサアジFCでプロ生活をスタートした。

1977年にJリーグ開幕前のJSL時代に与那城ジョージにスカウトされてブラジルから来日した。
読売クラブの初優勝や黄金期を支えた。与那城とラモスのコンビはリーグ屈指の破壊力を持っていた。
横浜マリノスの前身である日産自動車サッカー部との対戦で激怒事件が発生。1年間の出場停止処分を受けた。
復帰後も爆発し得点王などにも輝いた。

1981年にバイク事故を起こし、左足すねの骨折をした。荒れ狂うラモスを清水初音が献身的に看病した。その後二人は結婚している。

1985年、サントスFC、ウルグアイ代表、マレーシア代表を招いたキリンカップで日本代表と並んで読売クラブが参加した。
日本代表に勝利、ウルグアイに2-3と善戦した。
与那城引退後は司令塔として君臨した。
Jリーグが開幕しヴェルディ川崎になり、黄金期を支えた。浦和レッズ戦でビスマルクとのリフティングでボールを落とさずに運ぶシーンが印象的だった。

1993年に鹿島アントラーズ戦で初ゴールを決めた。

1994年のサントリーチャンピオンシップのサンフレッチェ広島で伝説的で芸術的なループシュートを決めて優勝を決定づけた。

ジーコのツバ吐き事件の時にピッチにいた。

日本代表では、オフト監督のもと、三浦知良、中山雅史、高木琢也、堀池巧、井原正巳、武田修宏、都並敏史、北澤豪、松永成立、日本代表監督の森保一らとワールドカップ出場を目指した。

ラモスとカズに自由を与えないというオフト監督との確執があり、指笛には「俺らは犬じゃない」と抵抗した。また細かい決め事に対してもあのやり方は好きじゃないと漏らしていた。最後は柱谷の説得で心を入れ替えた。

1991年にリネカー率いるイングランドの強豪トッテナムと対戦し4-1で大勝した。しかしその後の日韓定期戦で0-1で敗れた。

1992年のAFCアジアカップ広島大会は日本史上初の優勝を果たした。
ラモスが天皇杯で靭帯を損傷し代表を辞退。その時のイタリア遠征やキリンカップは惨敗した。
アメリカワールドカップ1994のアジア1次予選では7勝1分けの快進撃だった。ラモスも代表初ゴールをあげた。
最終予選では、イランに敗れ崖っぷちだったがラモスは明るくふるまった。

1993年にイラク戦でドーハの悲劇を経験した。ロスタイムに同点ゴールを入れられてワールドカップ出場を逃した。
神様とつぶやくシーンが印象的だった。
オフトが武田を投入した理由は分かっていない。攻めるのか、守るのか、繋ぐのか、はっきりしない時間が続いた中での失点だった。
試合中に諦めない姿勢を見せまさにフィールドの監督だった。

1999年の引退試合でのセレモニーで生まれかわっても、日本に来て早く帰化してワールドカップへ出たいと名言を残した。

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