前園真聖の全て サッカー人生ダイジェスト 全プレー集 異次元のドリブル集 ゴール集 マイアミの奇跡 中田英寿 川口能活 アトランタ五輪 フリューゲルス 日本代表 スペイン

2021/07/19 に公開
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本山雅志や三笘薫らの前に活躍した日本が誇る生粋のドリブラー。

鹿児島県出身、東郷少年サッカー団に入団。
スポーツショップのオーナーに貰ったマラドーナのビデオに魅了され、ドリブルを鍛えた。

鹿児島実業高校で1年時からレギュラー。
1990年の68回、1991年の69回、1992年の70回の全国高校サッカー選手権大会に出場。11試合に出場して8ゴールと大活躍した。
3年時に城彰二や遠藤彰弘が入ってきた。

1992年に横浜フリューゲルスに入団。1年目は一度もトップチームに上がれず、プロの厳しさを知った。この頃はナンパをしたり中途半端な時期だった。

1993年にアルゼンチンのヒムナシア・ラ・プラタへ2ヵ月間短期留学に行った。そこで本気のサッカーに出会い心を入れ替えて帰ってきた。

1993年6月5日、ヴェルディ川崎戦、延長後半4分にJリーグデビューを果たした。
7月10日のマリノス戦でJリーグ初ゴールを獲得した。
横浜Fが優勝した1994年の第73回天皇杯の決勝戦に先発出場した。

モネール、エドゥー、ジーニョ、サンパイオ、エバイール、山口素弘、三浦淳宏らと強い横浜フリューゲルスを築いた。

1996年にスペインのセビージャと接触。海外移籍が現実味をおびていた。
しかしフリューゲルスの高額な移籍金設定がネックとなり、交渉は決裂した。
ヴェルディ川崎に移籍したがモチベーション不足などがあり不調が長引いた。

1996年のアトランタオリンピックのU-23日本代表の主将としてチームを引っ張った。
川口能活、中田英寿、城彰二、伊東輝悦、松田直樹、小倉隆史ら個性派メンバーを統率した。西野監督の信頼も厚かった。
28年ぶりの五輪出場を果たした。

1995年のアジア一次予選は、台北、タイなどを圧倒。危なげなく勝ち上がった。ハットトリックも決めた。

1996年のアジア最終予選では、イラクに引き分けたものの、オマーンとUAEに勝利し準決勝サウジアラビア戦に進出した。そこで2ゴールを決めて本大会出場に貢献した。
サウジアラビア戦のコーナーキックでのズッコケによる時間稼ぎは前園の執念がよく現れたシーンである。

メキシコ五輪から28年ぶりに出場した1996年アトランタオリンピックではベベット、リバウド、ロナウド、ロベルト・カルロス、フラビオ・コンセイソン、アウダイールなど超豪華布陣のブラジルに勝利するというマイアミの奇跡を演じた。ナイジェリア戦で敗れたもののハンガリー戦では2ゴールを挙げて勝利に貢献した。ロスタイムの逆転劇は前園のハイライトシーンとなっている。

1994年のキリンカップでファルカン監督に呼ばれ日本代表に召集された。オーストリア戦でデビューした。同世代の小倉隆史も出場しゴールも決めた。セリエA挑戦中の三浦知良とのコンビネーションも良かった。前半30分に不運の負傷退場となった。

1994年の広島アジア大会に全試合フル出場した。準々決勝の日韓戦で不可解なPK判定もありチームは敗れた。ファルカンはこの敗退で解雇された。この大会は井原正巳の起死回生のロングシュートが印象的だった。

加茂監督のもと、1995年のダイナスティカップで躍動した。
中国や韓国相手にドリブルが冴え渡り、優勝に大きく貢献した。

ピンクのポルシェを購入。話題になった。

1996年のウルグアイとの親善試合でフリーキックによって日本代表初ゴールをあげた。
アジアカップのUAE大会では4試合で2ゴールとまずまずだったが、チームは準々決勝でクウェートに敗れた。

1998年にブラジルの名門サントスに期限付き移籍した。その後ゴイアスECを経て日本に復帰。ギリシャやポルトガルのクラブの練習に参加するが契約に至らなかった。

2000年にJ2の湘南ベルマーレに移籍。
その後はKリーグの仁川ユナイテッドFCなどに所属した。

2005年にセルビアのクラブの練習参加するも契約には至らなかった。その年に現役を引退した。

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