戊辰戦争の大逆転劇 徳川慶喜はなぜ逃げたのか? 討幕へ薩摩藩の策謀 王政復古の大号令「錦の御旗」の存在 新選組はどうなった?鳥羽・伏見の戦い「幕末シリーズ4」

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大政奉還を果たした徳川慶喜は、合議制による政治で中心に居続けるはずだったが、西郷隆盛や岩倉具視らの新政府によって、その思惑は外れてしまう。
薩摩御用盗による江戸の襲撃。それに激怒した旧幕府による薩摩藩邸砲撃事件によって、薩摩・長州を中心とした新政府軍と旧幕府軍の戦争が始まってしまった。薩摩は、旧幕府と戦争になるように仕向けたのである。
今回は戊辰戦争の皮切りとなった鳥羽伏見の戦い、また新政府軍を勝利に導いた秘策「錦の御旗」について紹介する。また旧幕府の藩士たちの動きについても解説。

〇王政復古の大号令
慶応3年(1867)12月9日、「王政復古の大号令」が発せられました。 「神武創業ノ始」に復古することが宣言され、幕府だけでなく、摂政や関白などをはじめとする、従来の朝廷の制度も廃止され、新たに「総裁」「議定」「参与」という三職が置かれることとされました。

〇鳥羽・伏見の戦い
慶応4年1月3日 - 6日(1868年1月27日 - 30日))は、戊辰戦争の初戦となった戦いである。戦いは京都南郊の上鳥羽(京都市南区)、下鳥羽、竹田、伏見(京都市伏見区)、橋本(京都府八幡市)で行われた。

〇戊辰戦争
慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、王政復古を経て新政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府軍・奥羽越列藩同盟・蝦夷共和国(幕府陸軍・幕府海軍)が戦った日本最大の内戦。名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来する。
明治新政府が同戦争に勝利し、国内に他の交戦団体が消滅したことにより、列強が条約による内戦への局外中立を解除し、これ以降、同政府が日本を統治する合法政府として国際的に認められることとなった。

幕末シリーズ
01外国人と渡り合った日本人たち 金銀の流出を防いだのは? 大河ドラマ「青天を衝け」の背景 大老・井伊直弼の死、最後の将軍・一橋慶喜
https://youtu.be/xejKWNS6ElA
02戊辰戦争 英仏の代理戦争?なぜ日本人同士で殺し合うことになったのか… 大河ドラマ「青天を衝け」の背景【番外編】関ヶ原の戦いの裏話
https://youtu.be/0HkCcuze5IY
03坂本龍馬暗殺の黒幕は?天皇の勅命を薩摩が捏造?戊辰戦争に至る激動の歴史に迫る!
https://youtu.be/lKs2FGyt7T8
04討幕へ薩摩の卑劣な策略 戊辰戦争へ 大逆転!「錦の御旗」の存在
https://youtu.be/zTgqQbEtjmo