【真実】○○がいれば悲劇が歓喜になっていた⁉ 灼熱のドーハ決戦の舞台裏

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ゲストは、Jリーグ創成期にヴェルディ川崎で活躍した、元日本代表キャプテン・柱谷哲二。
今回は、今なお語り継がれる“ドーハの悲劇”の舞台裏をぶっちゃけトーク。イラクから受けた、今ならVARで一発退場確実のラフプレー。選手交代が明暗を分けた⁉ オフト采配の穴とは…

■柱谷哲二(元日本代表)
Jリーグ開幕前は、横浜F・マリノスの前身である日産自動車サッカー部でプレー。その後、92年からはヴェルディ川崎で守備の要として活躍した、Jリーグ創成期を代表するレジェンド選手の一人。チームを激しく鼓舞するその姿から「闘将」と呼ばれた。日本代表にも欠かせない存在として、国際Aマッチ72試合に出場。あの、ドーハの悲劇の際もキャプテンとしてピッチに立っていた。引退後は、様々なクラブの監督を務めるなど、今も日本サッカー界のために尽力する。

■北澤豪(元日本代表)
Jリーグ創設前から読売クラブで活躍し、J開幕後は、柱谷、カズ、ラモスらと共に、ヴェルディ川崎の黄金期を支えた。旺盛な闘志と豊富な運動量を誇るプレースタイルから、“中盤のダイナモ”と称された。日本代表としては国際Aマッチ58試合に出場している。

■長谷川健太(元日本代表)
学生時代から注目され、静岡県立清水東高校では、同期の大榎克己、堀池巧と共に、“清水三羽がらす”と呼ばれ、1982年度の全国高校選手権を制し、翌年も準優勝を果たした。
高校卒業は、筑波大学を経て日産自動車サッカー部に入部。その後、Jリーグ設立に当たって創設された清水エスパルスに加入。主に右ウイングとして活躍し、右斜め45度の角度から放つ強烈なシュートを得意とした。

■勝也寿延(元日本代表)
横浜マリノス、ジュビロ磐田などでプレーした元日本代表DF。本職はセンターバックだが、ドーハの悲劇があったアジア最終予選では、負傷した都並敏史に替わり左サイドバックとしてもプレーした。

<関連動画>
1993.10.28 【ドーハの悲劇】ノーカット
https://www.youtube.com/watch?v=hdr2nrAsJXI



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制作:ジャンプコーポレーション

#ドーハの悲劇 #ワールドカップ #日本代表