ENKA(演歌엔카) 三山ひろし(Miyama Hirosi) ♪思案橋ブルース/ お岩木山 / 父・娘/ 人恋酒場 / 男の流儀/ 四万十川/ 谺 / 一本刀土俵入り/ 祝い船 / 別れの一本杉

2021/10/24 に公開
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曲 :三山ひろし(Miyama Hirosi);
2004年1月(放送は2月)に地元の高知県で開催された「NHKのど自慢」(土佐清水市大会)に出場。氷川きよしの「白雲の城」を歌い、その大会のチャンピオンになった。3月には2003年度NHKのど自慢グランドチャンピオン大会にも出場。
歌手を志し、25歳で上京。演歌歌手の松前ひろ子(北島三郎のいとこ)の店「LIVEレストラン青山」でウェイターとして働きながら、松前の夫で作曲家の中村典正の下で3年間修業する。出身の高知県が三方を山に囲まれていること、師匠の中村典正の別名「山口ひろし」から名前をとって、芸名を「三山ひろし」とした。
2007年7月、「日本クラウン創立45周年記念新人オーディション」で準グランプリを受賞する(グランプリは桜井くみ子)。2009年に「人恋酒場」でデビュー。2010年9月にデビュー曲「人恋酒場」が10万枚を突破しゴールドディスクに認定された。2011年12月30日、第53回日本レコード大賞「日本作曲家協会奨励賞」を受賞した。2012年発売の5枚目のシングル「男のうそ」でオリコン演歌チャート1位を初獲得した。
2013年5月、高知市から「よさこい親善大使」に認定された。高知のよさこい祭りを全国にPRする役で、認定は2003年の都はるみ、2004年のソニンに次ぐ3人目。
2013年頃からコンサートの余興としてけん玉を始め、日本けん玉協会会員となり全国に600人しかいない二段を取得し、2015年には三段を取得[5]。ステージで歌いながらけん玉を披露することもあり、「けん玉演歌歌手」として注目されている。
2015年第66回NHK紅白歌合戦初出場。歌唱後、2012年に師匠の次女と結婚し、2人の子供がいることを公表した。
2016年、けん玉の教則本を出版し、日本けん玉協会から「けん玉大使」に任命された。
207年2月に「みやま」つながりで福岡県みやま市のふるさと観光大使に就任した。同年6月に芸能界では単独最上段位となるけん玉四段を取得。同年の第68回NHK紅白歌合戦では三山が「男の流儀」を歌唱している間にステージ上に並んだ123人と三山の計124人が連続でけん玉を成功させるギネス世界記録に挑戦する趣向だったが、14人目のメンバーが失敗したため記録達成はできなかった。
2018年の第69回NHK紅白歌合戦では三山が「いごっそ魂」を歌唱しながら前回と同様、再び124人でけん玉に挑戦。三山を含む全員が成功し、ギネス認定となった。
2020年10月、高知県のご当地ソング「せられん」をカバー、高知県立県民文化ホールで開いたコンサートで初披露した

曲 :思案橋ブルース With ベイビーブー
原唱 : 中井昭&高橋勝とコロラティーノ
作詞:川原弘
作曲:川原弘
『思案橋ブルース』(しあんばし - )は1968年(昭和43年)4月25日に発売された、ムード歌謡グループ中井昭・高橋勝とコロラティーノのデビューシングルにして、唯一のヒット作。
1♪
哭(な)いているような 長崎の街
雨に打たれて ながれた
ふたつの心は
かえらないかえらない 無情の雨よ
ああ 長崎 思案橋ブルース
2♪
呼んでくれるな 俺のなまえを
もどりはしないさ 昔の
気ままな この俺
忘れてよ忘れてよ つれない雨よ
ああ 長崎 思案橋ブルース
3♪
夢は捨てたのさ 今のこの俺
じっと孤独を かみしめ
お前を好きだと
いってみたいってみた 冷たい雨に
ああ 長崎 思案橋ブルース

曲 :お岩木山
作詞:千葉幸雄
作曲:中村典正
山よ! 山よ お岩木山よ
あの娘のかわりに 聞いてくれ
男の山には 道などないが
歩いたところが 道になる
まっくろ日焼けの 顔だけど
心は雪より 白いのさ
山よ! 山よ お岩木山よ
世間のかわりに 聞いてくれ
男の俺には 柄でもないが
うす紅すがたが いじらしい
みちのく小桜 摘む指を
きれいに洗おか 谷清水
山よ! 山よ お岩木山よ
おふくろがわりに 聞いてくれ
男の義理とか 人情などに
そっぽを向いてた 俺だけど
人生峠の 苦労坂
越えたらおやじに 似てきたよ

曲 :人恋酒場
作詞:仁井谷俊也
作曲:中村典正

曲 :谺
作詞:いではく
作曲:四方章人
「人恋酒場」(ひとこいさかば)は、三山ひろしの1枚目のシングルである。
2009年6月3日発売。発売元は日本クラウン。
1♬
さよならと叫べばヨ さよならと
こだまが返る ふるさとの山
都会に出てから 早十五年
時々夢見る おふくろの 泣き笑顔
いまでも揺さぶる あの日の谺(こだま)
2♬
好きだよと叫べばヨ 好きだよと
こだまが響く ふるさとの谷
あの娘(こ)も今ごろ 誰かの嫁か
はかなく終った 恋ごころ もう昔
瀬音も交えた あの日の谺
3♬
元気でと叫べばヨ 元気でと
こだまが渡る ふるさとの川
遠くを見つめて 見送る親父
上(のぼ)りの列車も 泣いていた 長い汽笛(ふえ)
夕日が染めてた あの日の谺

曲 :一本刀土俵入り
原唱 : 三波春夫
作詞:藤田 まさと 
作曲:春川 一夫
『一本刀土俵入り』(いっぽんがたなどひょういり)は、長谷川伸の戯曲『一本刀土俵入』をモチーフとする歌謡浪曲、歌謡曲である。異なる作詞者・作曲者の手による複数の楽曲が存在する。

曲 :祝い船
作詞 : 千葉幸雄
作曲 : 中村典正
1♬
晴れの門出の はなむけに
唄に踊りに 手拍子を
今日はめでたい 心の船出
辛いこの世の 荒波越えて
ドンと漕ぎ出す 祝い船
2♬
今度港に 着くときは
子舟孫舟 連れて来い
今日はめでたい 二人の船出
愛の積荷と しあわせ乗せて
鶴と亀との 祝い船
3♬
いまは名もない 舟だけど
いつかなります 宝船
今日はめでたい 希望の船出
夢の帆柱 天までとどけ
舵を明日へ 祝い船

曲 :別れの一本杉
作詞:高野 公男
作曲:船村徹
「別れの一本杉」(わかれのいっぽんすぎ)は、1955年12月にリリースされた春日八郎のシングル。春日の代表曲のひとつである。
作詞は高野公男、作曲は船村徹による。二人は大学在学中に知り合い、コンビを組んで活動していた。当時二人は新人でこれといったヒットに恵まれず苦しい時代を過ごしていた。そのような中でいくつかの曲をキングレコードの春日のもとに売り込みにいき、その中で目に留められた曲がこの「別れの一本杉」であった。曲は、ビゼーの歌劇「カルメン」のハバネラのリズムをヒントに書かれたものである。
この曲は当時50万枚のセールスを記録し、当時としては爆発的な人気となった。これにより、春日八郎の演歌歌手としての地位は確固たるものになり、また船村徹と高野公男の活動も本格化したが、この曲がヒットした矢先、作詞家の高野公男は結核に罹り、「別れの一本杉」が発表された翌1956年に26歳にて死去した。この高野の若すぎる死を悼み、彼の生涯とこの曲の情景をモチーフに同名のタイトルで翌1956年に松竹から映画化された。主演(高野公男役)は川喜多雄二が務めた。また春日も劇中に歌手として出演している。春日はこの曲で1956年の第7回NHK紅白歌合戦、1969年の第20回NHK紅白歌合戦の紅白歌合戦に出場した。
1♬
泣けた 泣けた
こらえきれずに泣けたっけ
あの娘と別れた哀しさに
山のかけすも鳴いていた
一本杉の石の地蔵さんのよ
村はずれ
2♬
遠い 遠い
想い出しても 遠い空
必ず東京へついたなら
便りおくれと云った娘
りんごの様な赤い頬っぺたのよ
あの泪
3♬
呼んで 呼んで
そっと月夜にゃ呼んでみた
嫁にもゆかずにこの俺の
帰りひたすら待っている
あの娘はいくつとうに二十はよ
過ぎたろに