「目黒のさんま」五代目 三遊亭 圓楽

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「目黒のさんま」
目黒に遠乗りに出かけたある大名家の殿様、駆け回って腹が空いたが弁当の用意がない。一軒の農家で焼いているさんまを家来に買わせて食べる。生まれて初めて食べる油の乗った焼きたてのさんまの美味いこと。家来からさんまは庶民の食べる下魚ゆえ屋敷に戻ってもさんまを食べたことは内聞にと口止めされるが帰ってからもさんまの味が忘れられない殿様、招待された親戚の所で何が食べたいかと問われ「さんまが食したい」と・・・

五代目 三遊亭 圓楽
1933年1月3日東京生まれ
六代目三遊亭圓生に入門
上野鈴本演芸場で落語を見て「戦争ですべてを奪われ暗い顔をした人々にこうやって笑いを起こさせることができる落語はすごい」と落語家になることを決意した。落語家になって数年経っても「噺は上手いが圓生の真似だ」と言われ圓楽自身も悩みストレスで一時は体重が48kgになったり自殺未遂をしかけるほどだった。しかし母親から「お前は名人だよ」と言葉をかけられ自分にはこんなに気遣ってくれる人がいるのだという思いで、なんとかスランプを脱出。後にそれをネタにして若き日の自己のキャッチフレーズを「名人圓楽」とするが師匠などから「若手の分際で名人とは生意気だ」と怒られキャッチフレーズを「星の王子さま」に変更した。一時期は事実上テレビ専業の「落語家タレント」であった一方でレギュラーは多くバラエティ、ドラマと何でもこなした。「落語界・寄席でタブーとされることを全部やってやる」「寄席の価値観の逆をやる」という戦略をとり瞬く間にスターとなった。例えば「キザ」という価値観は寄席では排除されるものだが圓楽はあえてキザであり続けた
7代目立川談志、3代目古今亭志ん朝、5代目春風亭柳朝(柳朝休業後は8代目橘家圓蔵)とともに「東京落語四天王」と呼ばれた

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