中田英寿の全て サッカー人生ダイジェスト 全プレー集 ゴール集 Nakata Super Goals ダイジェスト ペルージャ ローマ ベルマーレ

2020/12/09 に公開
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日本史上最高のフットボーラー中田英寿。
Japanese Footballer highlight
インタビューなどから賢さも伺える。
韮崎高校出身で各年代の代表に選出。
同時期に中村俊輔や小野伸二、稲本潤一、高原直泰、川口能活、久保竜彦など素晴らしいメンバーが揃い、日本サッカーは黄金期を迎えた。

ベルマーレ平塚、ペルージャ、ローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナ、ボルトンと数多くのチームを渡り歩いた。

U-16アジアユースから各年代の代表でプレイ。1996年のアトランタオリンピックはアジア最終予選から飛び級で参加した。ナイジェリア戦の西野監督の守りの戦術を批判し、本大会のハンガリー戦は出場出来なかった。

1998年フランスワールドカップアジア最終予選では井原や中山などベテラン勢を呼び捨てにして統率。見事本大会に導いた。キングカズこと三浦知良の身勝手な行動にキレる場面もあった。城彰二とのコンビは絶妙でバランサーの名波浩とは相性が良かった。野人岡野雅行を励ましてパスを出し続ける姿はまさにリーダーだった。

1998年 ペルージャではユベントスとの最高のデビュー戦の後も、オーバーヘッドや弾丸フリーキックなど大活躍した。クロアチア代表のラパイッチとのコンビ最高だった。

1999-2000シーズン、ローマではカペッロ監督のもとエースのトッティとポジション争いを演じた。アルゼンチン代表バティストゥータやサムエル、ブラジル代表カフーやアウダイール、エメルソン、フランス代表カンデラ、イタリア代表トッティやトンマージ、モンテッラ、デルベッキオなど布陣は最強だった。ジダンやデルピエロ、ダービッツなど豪華メンバーが揃うユベントスとの天王山では価千金スーパーミドルシュートを決めて優勝を手繰り寄せた。ユベントスキラーと言われた。

2000年のシドニーオリンピックでは、南アフリカ、スロバキアに勝利して予選リーグ突破。準々決勝アメリカ戦で中田がPKを失敗し敗戦した。

パルマではイタリア代表カンナバーロらとイタリア杯優勝を経験した。アドリアーノ、ムトゥとの攻撃は破壊力あった。

コンフェデレーションズカップ2001の決勝よりローマでのスクデットを優先し、トルシエと確執が噂されるも、2002年日韓ワールドカップで大活躍し、ベスト16に進んだ。コンフェデレーションズカップの準決勝オーストラリア戦で豪雨の中フリーキックを決めた。

2005年イングランドのプレミアリーグのボルトンでフリーキックを決めた。

ジーコジャパンでは怪我などから思い通りにいかず苦戦した。アジア最終予選は苦しんだ。中村俊輔との共存にジーコはこだわった。ドイツ代表に高原直泰が2ゴール決めるなどチームは強かった。2006年ドイツワールドカップは本戦はオーストラリアとブラジルに大敗して予選リーグ敗退し、直後引退した。

世界選抜に出場することが多かった。ブラジル代表ロナウド、イタリア代表デルピエロなど一流選出との交流もある。

ブラジル代表を倒したマイアミの奇跡、ジョホールバルの歓喜を経験。

日韓ワールドカップでは初のベスト16に導いた。

体幹、キラーパス、スルーパスなどは中田英寿から教わった。

強すぎる体で韓国選手と渡り合った姿が印象的だった。ホンミュンボが後に中田は恐ろしい存在だったと暴露している。

ジダン率いるフランスと対戦したときは、ジダンに日本には中田しかいないと言わしめた。結果はサンドニの悲劇だった。トルシエも対抗出来てたのは中田だけだったとコメントしている。

中田の後、本田圭佑や香川真司、久保建英など世代交代が進んでいるが、世界で勝つためのチーム作りを見誤らないでほしい。

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