中田英寿物語〜「カリスマ」「天才」と呼ばれた男の素顔と電撃引退後の人生について〜

2021/12/01 に公開
視聴回数 53,800
0
0
「異端児」「天才」「一匹狼」メディアから様々な言葉で形容されてきた日本が誇るサッカー選手、中田英寿選手。

激しいディフェンスにも倒れない強靭なフィジカルと、海外選手との試合を見据えた「キラーパス」と呼ばれるパスセンスを武器に、トップ下での華麗なゲームメイク力は多くのサッカーファンを魅了しました。

中田選手は高校1年生でU-16アジアユースに選出され、世界への第一歩を踏み出すと、それ以降、全ての年代別日本代表に選出され、その実力を世界に見せつけました。

1997年、当時20歳の若さでに「Jリーグベストイレブン」に選ばれ、1997年1998年と2年連続で「日本年間最優秀選手賞」「アジア年間最優秀選手賞」を受賞。

その後、1998年にイタリアへ渡ると、5チーム8シーズンにわたってヨーロッパのトップチームで活躍し、海外2チーム目のASローマでは、日本人で初めてとなるセリエA優勝メンバーとなりました。当時「日本人選手は海外サッカーで通用しない」と言われていた中での中田選手の活躍は、日本人選手の海外進出の門を大きく開くことに繋がりました。

そして日本代表においても絶対的な中心人物として活躍し、1998年フランスW杯、2002年日韓W杯、2006年ドイツW杯と3大会連続でW杯出場を果たし、どんどんと強くなっていく日本代表において「中田英寿なしの日本代表はあり得ない」と思えるほど、中心選手となっていきました。

しかし、そんな絶頂期に思えた2006年のW杯直後、彼は電撃引退しました。中田選手の引退に驚く声は日本国内に止まらず、世界中のサッカー関係者、そして数多のサッカーファンが彼の引退を惜しみました。

そして引退後は日本国内や世界中を旅したり、チャリティマッチを開催したり、実業家として会社経営をしながら様々なことにチャレンジしたりと、ピッチの外でも注目すべき活躍をしております。