小倉隆史の全て オランダが認めたガラスの天才 ゴール集 プレー集 Ogura History 1973-2006 レフティモンスター 名古屋グランパスエイト 留学 靭帯断裂 日本代表歴史

2021/05/02 に公開
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左足から繰り出す強烈なシュートを得意としていたことからレフティーモンスターと呼ばれた天才プレイヤー。
中村俊輔や名波浩らと同じ天才系のレフティだった。
四日市中央工業高校時代は、中西永輔や中田一三と四中工三羽烏と呼ばれた。
1992年の第70回全国高等学校サッカー選手権大会で帝京と両校優勝をした。
高校選抜でオランダ遠征をした際に、左足首靭帯を損傷した。
1992年に名古屋グランパスエイトに入団。初年度のJリーグカップで活躍した。
名古屋グランパスではストイコビッチやリネカー、ベンゲル監督など凄いメンバーと共演した。
1993年にオランダ2部リーグのエクセルシオールへレンタル移籍した。
公式戦18ゴールの活躍を見せてオランダ1部リーグのフェイエノールトやアヤックスからのオファーが噂された。

アトランタ五輪出場に向けて西野監督の説得もあり、日本復帰を決めた。
この時のU-22日本代表は前園真聖、城彰二、川口能活、中田英寿、伊東輝悦など史上最強と言われたメンバーだった。

1994年のキリンカップでは、オーストラリア戦でA代表デビューをはたし、その次のカントナ、パパン、デシャン、デサイーら凄いメンバーが揃うフランスから代表初ゴールを決めた。アシストは三浦知良だった。

1995年のアトランタ五輪アジア1次予選の初戦タイ戦で1ゴール1アシストの大活躍を見せたが、悪質なファウルで右膝内側側副靱帯損傷した。
その後復帰をはたすが、最終予選直前のマレーシア合宿で、デコボコピッチでの着地に失敗し、右足後十字靭帯を断裂した。
オリンピックのピッチに立つことは無かった。

その後は、ジェフユナイテッド千葉、東京ヴェルディ、コンサドーレ札幌、ヴァンフォーレ甲府に移籍し、2006年に引退した。

久保建英や堂安律らと同じ前線のレフティ。共通する部分も多い。

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