北澤豪の全て サッカー人生ダイジェスト 全プレー集 ダイナモと呼ばれた男 走り続けたサッカー人生 献身的 スタミナ ヴェルディ黄金期を支えた 三浦知良 ラモス瑠偉 kitazawa

2022/07/14 に公開
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1987年から1991年まで本田技研工業サッカー部でプレー。
最初は活躍できなかったが父親のアドバイスなどで力をつけ、1990-91シーズンに日本リーグ得点王を獲得した。
1991年キリンカップのバスコ・ダ・ガマ戦で日本代表初ゴールを決めた。
続くトッテナム戦でもゴールを決めた。2試合ともスタメンだった。
1991年日韓定期戦に出場した。韓国を倒すことはできなかった。
1991-92シーズンからラモス瑠偉や三浦知良、武田修宏らが所属する読売クラブでプレーした。
1992年 Jリーグカップを制覇した。決勝は清水エスパルスとの対戦だった。
1992年ダイナスティカップに出場。韓国とのPK戦の末、優勝した。北澤は全試合スタメンを獲得した。福田の初ゴールをアシストした。
1992年アジアカップ広島大会に出場。準決勝中国戦で貴重なゴールを決めた。しかし、GK松永退場により交代した。
決勝でサウジアラビアを倒し、アジアチャンピオンとなった。
1993年イタリア遠征にいき、ユベントスやインテルと対戦した。
アメリカW杯アジア1次予選は怪我のため、出場できなかった。
1993年にJリーグ開幕。ヴェルディ川崎は、チャンピオンシップで鹿島アントラーズやサンフレッチェ広島を破り、
2年連続の年間王者となった。ナビスコカップは3連覇した。
1995年はチャンピオンシップでマリノスに敗れた。
三浦知良、ラモス瑠偉、武田修宏、柱谷哲二、ビスマルク、アルシンド、石川康、ベンチーニョなど凄いメンバーが終結。
ヴェルディ全盛期を築いた。
1993年のアメリカワールドカップアジア最終予選では、森保一の代わりとしてピッチにたった。
最終イラク戦では、ドーハの悲劇を経験。
ラモスらピッチ内の選手から出場を望む声が出たが、ハンズオフト監督は武田を選択。出場は叶わなかった。
韓国戦に出場し、予選史上初勝利に貢献した。
1994年広島アジア大会に招集。ファルカン監督は前園や小倉、岩本など若手を積極的に使ったが勝てず、途中からスタメンを獲得した。
1995年インタコンチネンタルカップでは加茂周監督に代わり、初戦のナイジェリア戦でスタメンを獲得した。
アルゼンチン戦では後半から出場した。カズのフリーキックで1点獲得した。
1995年ダイナスティカップでもスタメンを獲得した。PK戦の末韓国を破り2連覇を達成した。
この大会は前園の活躍が光った。
1995年親善試合のコスタリカ戦でゴールを決めた。
1995年アンブロカップで、イングランド、スウェーデン、ブラジルと対戦した。
1997年フランスワールドカップのアジア最終予選のラスト4試合からトップ下で先発出場した。
岡田監督によって起用された。中田英寿、名波浩、城彰二、中山雅史、呂比須ワグナーの間に入り込んでパスを受ける役割を担った。
ジョホールバルの歓喜では岡野と交代でピッチを後にした。
1998年ダイナスティカップ、日韓共同開催記念試合など直前までスタメンで出ていたが、キリンカップから3バックに変更され、ポジションを失った。
1999年鹿島アントラーズ戦でスーパーゴールを決めた。
2000年に靭帯損傷の大怪我、2003年に引退を決意した。引退試合ではかつての盟友たちが集まった。

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0:00 誕生〜小学校時代
0:20 読売ジュニアユース時代
0:30 修徳高校時代
0:47 本田技研工業時代
01:14 1991年 キリンカップ 22歳 日本代表デビュー
01:41 23歳 読売クラブへ移籍
03:46 1992年 日本代表監督にハンズ・オフト就任
05:21 1992年 アジアカップ 広島大会
11:50 1993年 24歳 Jリーグ開幕
15:18 1993年 アメリカワールド杯 アジア最終予選
25:50 1994年 広島アジア大会
36:47 1995年 インターコンチネンタルカップ
41:39 1995年 アンブロカップ
47:16 1997年 フランスワールド杯 アジア最終予選
52:44 1998年 ワールドカップメンバー落選
53:47 2003年 引退会見
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